【インタビュー】  コンサートについて語る(2)


野中 裕

聞き手:丹羽誠志郎


−−−歌いながら指揮するのと、指揮者に専念するのは勝手が違いますか?

とてもちがいます。歌いながら指揮するというのは、基本的に歌い手の輪の中での作業なのです。しばしば私自身が音を間違えてしまうこともありましたし、メンバーたちと直接的な形で一体感を感じられる場面がたくさんありました。というよりも、私自身の意識はほとんど歌い手だったのです。ちょっと指示も出すかなっていう感じで。練習でしっかり合わせておいて、あとはこちらからキューを出すだけ、というところでしょうか。それに対して、指揮者に専念するというのは、歌い手と一線を画した間柄になるわけです。よく「指揮者は孤独だ」などといいますが、そのとおりだと思いますね。例えばコンサート当日、休憩時間などになると、歌い手はそれぞれにうまくいった点や、そうでなかった点を語り合ったりします。一緒に歌ったという一体感があるからこそ会話がはずむし、言葉にリアリティがあると思うんです。しかし、指揮者に専念すると、そういう会話に入りにくいというか、「歌う」という経験を直接に共有できないがゆえに、ある種の距離みたいものを感じることがあります。この感覚は、はじめて指揮者に専念することになった第3回定期演奏会のときから常にありました。

−−−野中さんが「指揮者」として歌い手の前に立つということで、音楽のつくりが大きく変わったのですか?

変わったと思います。歌い手と兼用である指揮者がただキューを出すだけの段階では、歌い手一人ひとりに自律的な歌い方が求められるし、それだけ緊張感の高いものが要求されました。これに対して、指揮に専念する人物をおけば、とりあえずアンサンブルとして破綻することが避けられます。今ではグループが大きくなりましたら、個人個人の意識だけできっちりまとまった演奏ができるとは思いません。歌いながらときどきキューを出すというようなやり方では、もうやってゆけないところにいると思います。でも、正直なところをいうと今でも歌いたいと思うのですが、どうも歌い手の人たちがいやぁな顔をするんですよね。「お前は歌うな」みたいな感じで(笑)。私自身としては今でも合唱団の一員という意識が強くて、「統率者」みたいなのは嫌いなのですが。

−−−ところで話題は変わりますが、野中さんはその道では有名なバッハ・ファンですし、バッハに関する研究も盛んに行っているようですね。やはり、スコラ・カントールムはバッハ演奏のために作った合唱団なのでしょうか。

それは誤解です。たしかに私はバッハは好きです。今から思えば「若気の至り」ではあるにしろ、酒席で激しいバッハ論議をたたかわせたこともありました。しかし、私のバッハ好きとスコラ・カントールムは別物です。スコラ・カントールムというグループをはじめようと思ったとき、バッハを歌うことだけを目標としてはいなかったのです。以前にもホームページのエッセイでお話しましたが、スコラ・カントールム旗揚げに際して私が目標としていたのは、きちっとしたアンサンブルを決めること、そしてかつて「これは素晴らしい作品だ」と思いつつうまく歌えなかった作品を、今度こそしっかり歌おうということでした。もちろんそういう作品の中に、たしかにバッハも含まれていました。言い方を変えると、バッハの作品はスコラ・カントールムがめざす音楽のひとつにすぎないのです。歌い手の中でも熱烈なバッハ・ファンは少なからずいるのですが、かといってそれ以外はダメというわけではないのです。いろいろ楽しんでゆくというのが、健全なあり方ではないでしょうか。

−−−さて、今後の展望についてきかせてください。

年齢の話をするのはちょっと嫌なのですが、このグループを始めたころに比べると、当たり前の話ですが、私も含めてメンバーが少しずつ歳をとっているわけです。もう10年近くやっていますからね。当時は学生や、それに近い連中が中心だったのが、今では社会人や所帯持ちがふえました。子供のいるメンバーもいます。どういうわけか今のところは、いろいろ制約があるだろうに、みんなマメに歌いに来てくれるのです。それ自体は、うれしいことこの上なしです。しかし、現実を鑑みると、ある一定の期間グループの活動に参加できないメンバーが出ることは仕方がないでしょう。たとえば仕事が忙しいときとか、女性であれば赤ちゃんを身ごもっているときとか、育児に忙しい時など。私の考えでは、場合によっては今よりも実動メンバーの少ない状態で−−そうですね、20人ぐらいでもきちんと活動を続けてゆくことが大切だと思います。これまでは常にグループの規模を拡大する方向できました。現在、大体28人ぐらいで活動していますが、このあたりが限界ですね。これ以上メンバーが増えると、アンサンブルとしてまとまらないと思います。今よりも小さい規模になるとしても、そのときどきの規模やバランスを考えて、自分たちにふさわしい曲を選んでゆくことが大切だと思います。

[1998年7月/2001年6月、再掲載にあたり一部改訂]


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