資料調査の話(イタリアより)


丹羽誠志郎


私は音楽学の勉強をしています。専門は16世紀のイタリア宮廷音楽。特に専門はイタリアのパルマという街のことです。パルマというと、「パルメザン・チーズ」「パルムの僧院」「パルマの生ハム」で有名です。サッカー・ファンの方なら、セリエA の強豪・パルマA. C. をご存知かもしれません。音楽の方では、オペラ作曲家のジュセッペ・ヴェルディにゆかりの深い街です。彼は近郊のブッセートとという街で生れ、パルマのレジオ劇場を根拠地にしていました。またパルマの音楽院は有名な音楽家を輩出しており、日本人の学生さんもいるようです。
私が調べているのは16世紀後半のことです。日本では織田信長が暴れていたころ。ヨーロッパではトレント公会議が行われ、また各地で宗教をめぐる血なまぐさい事件がおこっていました。東の方ではオスマン・トルコ帝国が全盛期を迎えてボヘミア地方に攻め込んできます。また南アメリカではスペインやポルトガルが搾取や強奪をほしいままにしていました。ローマでは、急速に勢力を伸ばしたファルネーゼ家が教皇の座についてました。パウルス3世です。パウルス3世は、ますます一門の勢力を伸ばそうと思い、1545年に自分の私生児ピエル・ルイージ・ファルネーゼを強引にパルマ公爵に任命しました。このころはローマ教会の風紀が乱れていて、パウルス3世に限らず、教皇はよく私生児をつくっていましたし、権力を喰い物にして身内の利益ばかりを追及していました。こうしてにわか仕立てのパルマ公国が誕生したのです。なにせやり方が強引だったものですから、政権が安定するのには時間がかかりました。それでも1560年ごろには落着いて、国らしい形になりました。はたしてそのときパルマの宮廷ではどのような音楽が行われていたか?……これが私の研究テーマです。幸か不幸か、当時のパルマは決して最先端の芸術都市ではありませんでした。ですから研究者の注目を集めないままでいます。パルマの音楽といえば、ジュセッペ・ヴェルディがあまりにも有名で、地元の人も誇りに思っていますから、16世紀のことは案外と忘れられているんですね。というわけで、私はこれを自分の専門分野にすることにしました。
どんな研究にも資料が必要です。歴史的なことを勉強するには、古文書類が重要な資料になります。歴史の当事者たち本人の証言ですからね。他の研究者が見ていないような古文書があれば、とても研究が進みます。これまで知られていなかったことが明らかになります。というわけで、目新しい資料を求めて、ここパルマで調査をしています。資料調査は宝探しのようです。よい資料に出会えば、ぐんぐん仕事が進みます。そういうときは、とてもワクワクします。しかしそうでないときは、時間と手間ばかりかかって、全然仕事が進みません。そういうときは、なんだか疲れてしまいます。そんな調子で、一喜一憂しながら作業を続けています。
今回の調査旅行はまずベルギーからスタートしました。16世紀のパルマはベルギー地方と関係が深かったので、そちらでも調査をしたのです。ブリュッセル、メヘレン、レーヴェンなどを巡りました。こちらではそれほど大きな成果が上がりませんでした。しかし現地での先行研究を調べたり、えらい先生に会ったり、実り多いものではありました。これほどハイテクな世の中でも、やはり現地に行かなければわからないことがたくさんあります。ベルギーでは言葉(フランス語とオランダ語)がよく話せないにもかかわらず、各地で親切にしていただきました。とても楽しかったです。
2月末にブリュッセルを出発しました。 トリノ、ミラノを経由して、パルマにつきました。ここを訪れるのは3回目。街の様子もおおむねわかっていますし、資料の探し方も見当がついてます。資料調査は図書館や資料館でおこないます。私は主にパルマ国立資料館 Archivio di Stato Parmaで調査しています。ここにはパルマの古い資料がたくさん保存されています。政府の記録、有力貴族の古記録、市当局の記録、そして少し昔の新聞や雑誌、地図類、その他いろいろな資料があるようです。その中で私が主に扱っているのは、主に中央政府の会計記録と書簡類です。 会計記録はとても有力な資料です。どんなことをするにもお金がかかります。たとえば音楽家を雇うには給料を払わなければ行けません。楽器や楽譜を手に入れるには代金を払わなければ行けません。自分のところで楽譜を出版しようとすれば、もっとお金がかかります。楽器職人を雇い入れるなら、音楽家とは別口に給料を払わなければいけません。ということは、別の言い方をすると、お金の動きを把握すれば、人や物の動きの概要が見えてくるというわけです。今話に挙げた給料支払い記録は、その中でももっとも大事な資料です。これを見れば、どういう音楽家が何人雇われていて、どのくらい給料をもらっていたかがわかります。音楽組織の規模がわかるわけです。
会計資料が物事の全体像を映すとすれば、書簡資料は個別の事柄をより具体的に語ってくれます。私が扱っている書簡資料は、各地からパルマ公爵(やその秘書官)に送られた報告書の類です。特にパルマ宮廷楽団のための音楽家をスカウトする作業に関するものです。「このような音楽家を見つけましたが、いかがでしょうか」とか、「ご要望のような音楽家を見つけるのは無理です」とか、また「この音楽家はこれだけの給料を要求していますが、いかがでしょうか」とか、具体的な情報が盛り込まれています。こういう資料を見てゆけば、パルマ公爵がどのような音楽家を探していたのか、そしてどういう音楽を求めていたのかがわかってきます。
実際の作業は、時間と手間をかけてゆっくり資料を見てゆくというものです。資料の束には音楽に関するものも、そうでないものも一緒になっています。というよりも、全然関係ない資料が山ほどあって、その中にときどき音楽に関するものも見つかる、という程度です。資料は手書きですから、読みやすいものもあれば、「こんな字でよく用事が足りたものだ」と言いたくなるようなひどいものもあります。資料調査をおこなうたびに「字はていねいに読みやすく書かなくてはいけない」と実感します(笑)。幸いにも、私が扱っているのはどれも読みやすいものばかりです。これは本当に幸運なことです。
資料調査とならんで大切なことは、先行研究のチェックです。先ほどもお話しましたが、現地でないとわからないことがたくさんあります。ヨーロッパでは各地に地方史研究のグループがあり、それぞれに学術雑誌を発行していたり、研究書を発行していたりします。なにせ地元の人たちが研究していますから、実に細かい調査研究もあるわけです。こういう学術雑誌や研究書は、現地でしか読めなかったり、手に入らなかったりするものです。パルマにもこういう研究がたくさんあります。これらをチェックし、重要なものに目を通すことは、古文書を調査するのと同じぐらい大切なことです。

[1999年3月/2001年7月、再掲載にあたり一部改訂]


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