【インタビュー】《ヨハネ受難曲》の演奏を前に(2)


野中 裕

聞き手:丹羽誠志郎

−−−《ヨハネ受難曲》に向けて、野中さんのバッハへの想いを語って下さい。

困りましたね。難しい質問です。前にお話ししたように、この曲を選んだのは私個人の趣味というよりは偶然のなりゆきでした。とはいっても、やはり私個人としてバッハは大好きですし、また彼の作品には格別の思い入れがあります。バッハ音楽はホモフォニックな曲でも、ポリフォニックな曲でも実に魅力的だと思います。ホモフォニックな音楽、たとえば《ヨハネ》にも見られるコラールなどでは、どうしてこんなに素晴らしい和声が作れるのだろうと思うほどです。不協和音の使い方が実に素晴らしい。それでいて、どのパートも歌っていて退屈しない。見事です。一方ポリフォニックな音楽、たとえばフーガでは幾つもの声部が同時に鳴っているのに、どれ1つとして無駄になっていないんです。どのパートも生きているって言いましょうか。これも見事です。

−−−野中さんとバッハとの出会いは?

最初は中学校の音楽の時間でした。鑑賞教材として耳にした《小フーガ・ト短調》でした。ただ聞くだけじゃなくて、授業の中でこの曲を合奏用にイ短調で編曲したものをアコーディオンとかいろいろな楽器を使って弾きました。世の中にこんなに美しい音楽があるのかって感激しましたね。中学校の音楽室、これが私の「バッハ・デビュー」です。これをきっかけにバッハのオルガン音楽に興味をもち、当時はLPレコードの時代でしたけど、さっそく買ってきて聞きました。今見てみるとこれが巨匠マリー・クレール・アランのベスト版だったのですけど。《トッカータとフーガ》とか《パッサカリア》とか有名な曲が入っていましてね。そのとき初めて知りました、ああこの曲も《小フーガ》と同じバッハの作品なんだって。特に《パッサカリア》の構築性に魅かれました。「バッハってタダ者ではないぞ」みたいな感じでしたね。

−−−他にも印象深い曲、印象深い演奏はありますか?

やはりどうしてもカール・リヒターの名前を挙げずにはいられません。中学2年生のころでしょうか、つまり私がバッハに目覚めつつあり、リヒターという名前を耳にするようになったころ、ちょうど彼が亡くなったのです。来日するはずだったので楽しみにしていたのですけど。さっそくレコードを買いにゆきました。最初に手にしたのはチェンバロ曲集でした。中でも《半音階的幻想曲とフーガ》の演奏が印象的でした。今になって聞き直すともうメチャクチャというか、全然バッハに聞こえないんですよ、当時の鉄骨製チェンバロを弾きまくるって感じで。(笑)でもその中に彼のもつ精神性がビシビシ感じられました。これでクラッときてしまい、次に彼がより本領を発揮するといわれた宗教音楽へ進んでゆきました。まだ宗教とは何なのか、そのイメージすらない年頃でしたけど。(笑)

−−−とうとうディープな領域へ入っていたわけですね。

その頃は大げさなキャッチ・コピーがはやっていて、本を見ると「《マタイ受難曲》は人類の至宝である」みたいなことが書いてあるんです。「至宝」なら聞いてみようか、ぐらいの気持ちでトライしてみたのです。レコード屋さんでお店の人に「《マタイ》を聞きたい」って言ったら、「君、いま何年生?」「中学3年生」「中3で《マタイ》を聞くの?難しいよ、大丈夫かなあ」みたいなやりとりがあって、とにかく聞いてみたんです。最初の大合唱から頭を殴られたようなショックでしたね。

−−−最初は《マタイ》だったと。では《ヨハネ》との出会いは?

《マタイ》が強烈だったので、買ったレコード(=アルヒーフ・レーベルの《バッハ大全集》第1巻「受難曲」)に一緒に収録されていた《ヨハネ》の方は印象が薄かったんです。大学3年生の時に《ヨハネ》を歌う機会がありまして、こちらの曲の魅力を理解したのはこのときだったと思います。その演奏会のプログラムで解説を書くことになり、ちょっと勉強もしましたし。その後で、私たちスコラ・カントールムもお世話になっている「栃木[蔵の街]音楽祭」でまた歌わせていただく機会があり、これは古楽器を使っての演奏でした。このときもまた「目からうろこが落ちるような」経験の連続で、これからバッハ演奏の主流を占めるであろう古楽器を、初めて身近に感じたのです。こうして《ヨハネ》の方は演奏を通して親しみをもつようになりました。実はスコラ・カントールムでもいつかとりあげたいと密かに心に思っていたんです。ただやはり受難曲を指揮するって大変な作業で、それ相応の人生経験も必要になります。自分の目安として、35歳になったら受難曲を指揮するのもいいだろうと決めていました。まあ結局は33歳でそうすることになりましたけど。

−−−バッハ・ファンとして、また指揮者として気合いの入る曲だと思います。がんばってください。

皆様のご期待に添えるよう、練習に励みます。当日のご来場をお待ちしています。

[1999年7月、2001年9月再掲載]


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