今年の年賀状に、私は「新千年紀・バッハ没後250年と周囲は
賑やかですが、それにただ流されるだけにならぬよう、精進を重ね
たいと思います」と書きました。2000年の音楽界があらゆる意味で
バッハに注目するのは当然ですし、来日する大物アーティストの数と
内容、そして日本人音楽家の活躍を見ても、バッハの大曲の演奏が
目立ちます。日本にいながらにして、世界中の、今望める最高の
演奏をいくつも聴くことが出来るとは、東京という都市はまことに恵まれ
た街だと痛感します。バッハ・ファンを自他共に認める私としては喜ば
しいことこの上ないのですが、しかしそう手放しで喜んでばかりいる
わけにもまいりません。今申し上げたように、来日するアーティストの
上演会場は、ほぼ東京に一極集中しております。これはある面やむ
を得ないことではありますが、日本の音楽文化のあり方を考える上で
昔から続く大問題のひとつです。また、ただでさえバッハ・イヤーという
周囲の喧噪の中にあって、アマチュアである私たちが、この東京で
《ヨハネ受難曲》に挑戦するということの意義は何度も問い返される
ことが必要です。ただ単に「合唱団創設10周年だから大曲を」
「バッハ・イヤーにちょうどいいから」という理由で私たちはこの曲を
選んだのではありません。得難い共演者とのご縁、器楽奏者の方々
のバックアップ、団員同士の真剣な話し合いの中から、「今出来る
最善の演奏ができそうだから」という理由で、熟慮の末に《ヨハネ》を
選んだことを、今思い出す必要があります。演奏会が近づくにつれて、
本番の雰囲気に流されていく、つまり悪い言い方をすれば「あるひと
つのイベントが完結する」ことの快感に身を委ねてしまいたくなるもの
ですが、私たちに必要なことは、冷徹なまでに音楽そのものを愛し、
少しでも完成度の高いステージを創り上げることだと思います。そう
いった意味で、《ヨハネ》後の2000年の活動について、多くの団員が
「人数も増えたし、基本であるルネサンス期のモテトゥスに立ち返って、
丁寧に演奏することをもう一度考えてみよう」という意見を出してくれた
ときに、私は心から団員たちを誇りに思いました。2000年のスコラ・
カントールムも、今まで同様に地道な努力を積み重ねてまいります。
新しい10年に向かって、皆様のご支援をよろしくお願い申し上げま
す。では、当ホームページをごゆっくりお楽しみください。