主宰者(指揮者)ご挨拶


いよいよ梅雨に入ります。雨は天の恵みですが、どうも私はこの 季節が苦手です。湿気の多さがその第一の理由のようです。私は 中学・高校時代は自転車通学をしていましたので、朝のラッシュ時 の混雑とは無縁の青春を送っていました。大学入試で一敗地にまみ れた私は、国分寺からお茶の水まで中央線で通うことになり、初めて 凄まじいラッシュを経験したわけです。何とか予備校通いも軌道に 乗ってきた6月、じめじめとした梅雨空のもと、満員電車の中は異常 な湿気と人いきれが立ちこめ、本を読んでいた私は気持ち悪くなって 吐き気を催してしまいました。幸い医務室にかつぎ込まれるというような 事態にはなりませんでしたが、以来梅雨どきの満員電車に対する 恐怖感が植え付けられ、それは今でも治っていません。この、私が浪人 生活を送っていた昭和60(1985)年という年は様々な出来事があり、 自分自身の境遇と合わせて非常に印象深い年でした。日航機御巣 鷹山墜落の大惨事(私の現勤務校にもこの事故で亡くなった生徒が いたそうです。犠牲者のご冥福を祈り続けたいと思います)、プロ野球 は阪神が日本一、そしてバッハ生誕300年の記念の年にあたって いたわけです。しかし、この年は私が浪人中で世事に疎かったことを 鑑みても、今年のようなバッハ・フィーバーぶりはなかったような気が します。やはり、ミレニアムとバッハという要素が重なり合った希有な 巡り合わせが人々をバッハへの熱狂に駆り立てるのでしょう。つい先日も フィリップ・ヘレヴェヘ氏率いるコレギウム・ヴォカーレが来日して、《マタイ》 《ヨハネ》《ロ短調》のそれぞれに名演を残しました。客席の雰囲気も 演奏者の気合いも、このバッハ・イヤーに相応しいものでした。合唱団の うまさには驚くばかりで、あのような寸分の隙もないアンサンブルを聴いてし まうと、わがスコラ・カントールムを省みて絶望の溜息をはくこともままありま す。しかし、これは考え方によっては「どこまで行っても追いつけない、永遠の 目標が存在する」ことなのですから、むしろ恵まれていると考えねばならぬ ことでしょう。バッハ生誕300年の年、私は歌と仲間に囲まれた現在の 境遇を想像することは不可能でした。この15年の月日を本当に幸福に思う とともに、また新たな15年が充実したものとなるよう努力したいと思います。 それでは当ホームページをごゆっくりお楽しみください。

2000年6月
スコラ・カントールム代表
野中 裕


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