いっときは猛暑を脱した東京ですが、また暑さが蒸し返してくるようです。ホームページにお越しいただいた皆様のご健康を心よりお祈りいたします。この時期、高校ではさまざまな体育系クラブが夏合宿に向かいます。学校の諸活動の中でもクラブの衰退が言われて久しいのですが、私としてはこの暑さの中、皆よく頑張っているなとの印象を受けます。朝早くから一生懸命に通ってくる生徒たちを見ると、ほっとするものを感じます。しかし今年次々と校門を出ていくバスを見送りながら、私はどうも違和感のようものがこみ上げてくるのを禁じ得ませんでした。乗り込んだ生徒たちの表情が、あまりにも明るいのです。
個人的な話で恐縮なのですが、私も中学・高校時代、同じようにクラブ活動をしておりました。私が音楽に本格的に取り組んだのは大学に入ってからで、その当時は体育系のクラブに所属していたのです。もちろん毎年夏合宿に参加したのですが、その初日を迎える朝たるや、いつも沈鬱の極限ともいえるような状態でした。他の部員たちも私ほどではないにせよ、多かれ少なかれそうであったと思います。今でもスポーツの強豪校と言われるところはそうなのでしょうが、朝から夜までの練習漬け、しかも普段よりずっときついメニューが課されるのですから当たり前といえばそれまでです。おまけに当時はまだ現在のようなスポーツ理論が確立されていない時期ですから、水分を摂ることは御法度でした。焼け付くような夏の日差しの中、私は練習の内容を気にするよりも、次はいつ休憩できるのか、いつ水が飲めるのかということばかりを考えていた情けない生徒でありました。
今の子供たちを見ていて、初日が楽しく迎えられるというのは羨ましい気持ちがします。もちろん練習には真剣さが必要ですし、肉体の限界に挑戦する過酷さというのも必要です。それがなければいつまでたっても実力はつかず、勝つこともできない。強くなる意志のないところには、スポーツの本当の楽しさはあり得ないでしょう。要はその厳しい練習が納得のいく、そしてできることなら楽しく出来る方法であることが肝要であるように思われます。あの子供たちの明るさが単にぬるま湯的な雰囲気からくるものであれば話は別なのですが、そうでないなら、それはやはり私にとっては羨むべきことです。
スポーツと音楽では事情が違うので、これを音楽にそのまま当てはめて考える気持ちはありません。ただ、練習を組み立てる上でこのことがいつも頭にあるのは事実です。指揮者はメンバーに自分の解釈を伝え、それにあった歌い方を皆で追求する環境を整備することが大きな仕事です。しかし、これは特に自分に思い入れのある曲を練習する時に起きやすいのですが、盲目的に、理由を明示することなく「ここはこう歌って欲しい」と言って部分練習を繰り返してしまうことがあります。その時のメンバーの気持ちは皆さんご想像のとおりです。理由のない過酷さは反発を巻き起こします。まさに指揮者にとっての陥穽ともいえる事態であって、熱心にやればやるほどメンバーがしらけてしまう、という悪循環になります。練習後メンバーと一杯やるときに、ふと気づいて反省するのはこの手のことが多いのです。この文章をしたためながら、まさに自戒の念にかられております。
生徒たちを見送った後、私は出勤の合間を縫って、夏の休暇と研修を利用したドイツ語の学習に励んでおります。まことにお恥ずかしい限りなのですが、私は英語も含めて語学一般に全く自信が持てません。これは指揮者としてのみならず、一社会人としても大変なコンプレックスです。しかしいつまで愚痴っていても仕方ありませんから、遅まきながらの再勉強を決意したのです。上に記したように真剣に、しかし楽しく頭脳の限界と挑戦してみたいと思います。それにしても自分の時間が持てる、というのは得難い喜びです。
今回は個人的なことばかり書き連ねて申し訳ありませんでした。スコラ・カントールムの団員たちも、練習のないこの1ヶ月の間に、音楽的な何かを自分で成し遂げてくれると期待しています。それでは、当ホームページをごゆっくりお楽しみください。