主宰者(指揮者)ご挨拶


10月12日の「栃木[蔵の街]音楽祭」メインステージにおいでいただいた皆様、私たちの演奏をお聴きいただきましてありがとうございました。演奏の成果がいかほどのものであったのかはこれから録音を聴くなどして反省していかねばならないのですが、今年も熱心な聴衆の皆様を前にして大変充実した時間を過ごすことができたことを、まずは素直に喜んでおります。

スコラ・カントールムがこの音楽祭に出演させていただいたのは1996年が最初ですが、私個人の栃木とのおつき合いは1989年、第1回目の音楽祭にさかのぼります。以前書いたことだと思いますが、渡邊順生氏率いる「ザ・バロック・バンド」によるバッハ《ヨハネ受難曲》の合唱を歌ったのです。今年は10月14日にアンナー・ビルスマ氏とともに「ザ・バロック・バンド」が栃木に復活するようで、とても懐かしい気持ちがします(メンバーはだいぶ入れ替わっていますが)。14年前、浅草から東武線に乗り、栃木駅に着いたときに感じたことは、古い町並みがそのまま残っている、良い意味で開発されていない地方都市だな、と思いました。今、栃木駅は高架化工事が進み、駅前は整備されて大きな道路が新しく造られています。現在の栃木市は、「蔵の街」としての古き良き伝統と、それを観光資源として活かすための再開発の狭間にあって、一種奇妙な新旧の混合状態にあるようです。

14年前の公演は、昼に着いて練習を行い夜に公演というスケジュールでした。お昼過ぎに栃木市民文化会館に到着して印象的だったのは、エントランスに燦々と降り注ぐ秋のまぶしい日の光でした。これこそ秋晴れの見本、というさわやかな天気は、私の心にとても強く刻み込まれています。そしてそのエントランスホールにいっぱいの聴衆、そこで繰り広げられる高い水準のフリーステージ(プロやプロの卵が次から次へと出演していました)にはびっくりしました。まだ古楽演奏をまとめて聴く機会など東京にもほとんどない時代、メインとなる大ホールでの演奏会の他にこれだけの企画が目白押しとは、何と恵まれた音楽祭なのだろう、と目を見張ったのを覚えています。東京から泊まりがけで聴きに来ていらっしゃる方も多く、現在では日本における古楽のパイオニアと目される様々な方々の顔もたくさんお見かけしました。夜に演奏を終えてホールを出ると、エントランスはお帰りのお客様でラッシュアワーのホームのように混雑していました。

1990年にも私は栃木で歌うことができました。その後6年のブランクを経て、今度はスコラ・カントールムを率いて演奏する立場として復帰したのですが、その時も見事な秋晴れに迎えられました。1998年に「招待演奏会」での演奏という機会をいただいたときも、素晴らしい快晴。午後早い時間の演奏会でしたので、傾いていく日の光が自然の照明効果を引き出し、当団史上もっとも印象に残る演奏会のひとつになりました。栃木での演奏会は、必ず晴天なのです。今年も当日の朝にお天気を確認した時、なんとなく今年もうまくいくだろう、などと迷信めいたことを思ってしまいましたが、それは私の中ではごく自然な気持ちの発露だったのです。

天候は晴天が続きますが、日本の経済状況は土砂降りが続きます。文化事業に対する予算削減はどこでも同じでしょう。栃木でも、一昔前に比べて観客動員数が減少しているのは事実でしょうし、大きな企画を打ち上げにくい状況にあることは間違いないようです。しかし私は、いつも陰でこの音楽祭を支える様々な方々の活躍を知っています。来年で15年の節目を迎えるこの音楽祭、熱心な関係者のご努力でさらに磨きの掛かった、より充実したものとなることを信じております。そのために、私たちも微力ながらお手伝いできれば、と思っています。

息つく間もなく、14日には「第4回特別演奏会」のリハーサル、そして19日には本番を迎えます。今度は素晴らしい客演の皆様をお迎えしてのステージ、兜の緒を締め直して臨みたいと思います。皆様ご多用中とは思いますがどうぞ足をお運びください。チケットはまだこのホームページからもご予約できます。おかげさまで残席数が少なくなってきておりますので、お早めのご予約をお願いいたします。それでは、19日に早稲田奉仕園スコットホールでお会いできることを祈念しております。


2002年10月13日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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