主宰者(指揮者)ご挨拶


11月を迎え、急に肌寒くなりました。新しい住まいに移ってきてから半年経ちますが、あまり外の景色をゆっくり見ることもできない日々が続き、気がついてみたらもう冬物が必要であわててしまった、という生活ぶりです。週に2日の休日のうち大抵1日は当団の練習が入っていますので、なんだか衣替えもしないうちに時間だけが過ぎていった、という感じがします。そんな中、11月最初の練習のない連休に、静岡で行われた日本音楽学会の創立50周年記念国際大会に参加し、さまざまな発表を聞いてくることができました。とは言っても、文字通り「聞くだけはできた」のでありまして、内容はその場ではほとんど理解できずに帰ってきたのです。

なぜそんなことになったのかと言いますと、今回は国際大会ということで、4日間ある日程のうち3日間は公用語が英語となったからなのです。そうでなくとも私にとっては難しい発表内容が続く中、朝から夕方まで英語の洪水を浴びせられたのではたまったものではありません。私が語学コンプレックスの塊であることは以前から正直に申し上げてきたとおりなのですが、今回はまた、いやというほど自分の恥ずかしい姿を再確認した次第です。

とはいうものの、レジュメと辞書を頼りに何とかついていくことのできた発表もあり、日常から離れて先端を行く音楽学界の情報を一部なりとも吸収できたのは、私にとってこの上ない幸せでした。特に当団団員でもある(現在休団中ですが)丹羽誠志郎の発表では、レジュメに英語の発表原稿がすべて掲載されており、私のような者にとっては有り難いことこの上ありませんでした。また当団がメンデルスゾーンのモテットを何度も取り上げたことでご縁ができた、日本におけるメンデルスゾーン研究の第一人者である星野宏美氏の発表では、玉川学園に所蔵されていた「最初のワルプルギスの夜」のピアノ編曲版自筆譜の内容が、豊富な映像資料とともに紹介され、大変な勉強になりました。

まるで母国語のように英語を駆使して質疑応答する方々の姿には、心底圧倒されました。私も少しずつでも勉強していかないことにはどうしようもないな、と痛感しました。しかし、これはその場にいた誰もが言っていたことですが、ネイティヴの発表者が流暢な英語でまくしたてる発表よりも、英語以外を母国語とする人の、ゆっくりとした発表の方が格段に聞き易かったのは確かです。中にはネイティヴ以上の見事な発音と恐ろしいまでのスピードで原稿を読み上げる日本人発表者もいましたが、残念ながらその発表の内容がどこまで聴き手に伝わっていたか、疑問なしとしません。日本語であっても、ただ猛スピードでまくし立てる発表がどれだけの説得力を持ち得るか、と考えれば、これは一目瞭然のことがらでしょう。

面白いことに、音楽の実践の世界でも同じことが言えます。最近、いろいろな機会で外国人指揮者や合唱指導者とご一緒するのですが、その人が母国語で話し、誰かが通訳する、というパターンは、つい本人も熱が入り、内容も語彙も複雑になるがゆえに、通訳者がよほどの方でないとなかなか難しいものがあるようです。私たちが夏にお世話になったウィリアム・クリスティ氏は至極ゆっくりとお話ししてくださり、また関根敏子先生の的確で無駄のない通訳によって大変充実した一夜になったのは、大変に幸せなことでした。逆に、例えばイタリア人指揮者が一生懸命英語で話す場合など、日本人演奏家の方も彼が何を言いたいのかを必死になって耳を傾けるせいでしょうか、緊張感の持続の度合いがいつもより高く、なかなか充実した練習となることがしばしばあります。性急な一般化は厳に慎まなければなりませんが、言語によるコミュニケーションとは非常に微妙で、またそれだけに厳しいものがあることだけは確かなようです。

しかし、15世紀から18世紀におけるヨーロッパ音楽、しかも合唱曲を取り扱うグループの人間が語学音痴であるというのは、どんな言い訳をしても許されることではないでしょう。今回は自分に努力せよと言い聞かせるための「公開告解」を書いてしまったようです。お粗末な一席、申し訳ありませんでした。では、当ホームページをごゆっくりご覧ください。


2002年11月17日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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