主宰者(指揮者)ご挨拶


3月を迎えました。今年は例年になく暖かい冬でしたが、やはり2月を通り過ぎて3月になると、どこかしらほっとする気分になります。厳しかった入学試験や期末考査関連の仕事を終え、これからは間近に迫った第11回定期演奏会に向けて力を注いでいくことになります。いつものことながら、すっかりお馴染みとなったお客様からチケットのご注文をいただくたび、何とも言えない幸福な気分になります。何度も申し上げるとおり、この合唱団はアマチュアの集まりです。熱意もあり、合唱にかける時間も長くなったメンバーに恵まれているとはいえ、技術面や音楽の彫琢においては、演奏会を目前にした現在は特に、皆忸怩たるものを抱えている状態です。それにも関わらず、10年以上もの長きにわたって当団の演奏会を楽しみにしてくださる方が存在する、というのは本当に大きな喜びです。

指揮者と合唱団員のせめぎ合いが練習で起こるケースにはいろいろあるのですが、指揮者がバランス感覚を崩したとき、団員は強烈な不快感を感じるものだ、ということもあります。アマチュアは、自分の時間とお金を犠牲にして音楽をやっています。1週間の勤務を終えて、くつろげるはずの休日を3時間もつぶして練習を行うのですから、できれば「自分の好きな曲だけを、自分の好きなやり方で」歌っていたいのが当然です。しかしそれでは集団が崩壊しますから、皆どこかしらを我慢しています。演奏会で聴衆が喜んでくださること、そして何より自分が何らか表現し得た満足感、団体としての一体感を求めて、大人らしく自分を制御するわけです。指揮者は、その純粋な歌う喜びを引き出す存在でなければならず、一回一回の練習に意義を持たせることが仕事となります。その結果として「本番での良い演奏」が引き出せるのだと考えます。これが逆転して「お客様のためにはどんな自己犠牲も払って音楽せよ」という姿勢に陥ったとき、団員はそうしたバランス感覚の不正な状態を見逃しません。どこの団体でもそうでしょうが、指導者は本能的に「聴く人にこの団体を上手な団体だと思って欲しい」という思いにかられます。そのこと自体は決して悪いことでも何でもなく、むしろ必要なものだと思いますが、それが歌い手たちに「自分たちの意向を無視した指揮者の名誉欲」だと思われてしまった時、今まで出来ていたことすら出来なくなってしまいます。

このところ私も多忙で焦りがあるせいか、こうした姿勢に陥っていなかったかどうか反省することがよくあります。また実際に私の焦りを的確に指摘し、修正してくれる団員もいるわけで、それは本当にありがたいことだと感じます。残された時間はあと2週間ですが、はやる気持ちを冷静に抑え、努力を積み重ねようと思います。どうぞスコラ・カントールムの第11回定期演奏会にご期待ください。3月30日に、武蔵野市民文化会館小ホールにて、皆様とお会いできるのを楽しみにしております。


2002年3月14日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


このページのトップに戻る