主宰者(指揮者)ご挨拶


ウィリアム・クリスティ氏の公開レッスンは、私たちに大きな感銘を残して終了しました。世界的な名声を持つ指揮者に直接指導を受けるということで、私はもちろん、出演した団員全員が相当な緊張感を抱いて当日を迎えたはずです。

クリスティ氏は、前半のソロの部が始まる少し前にふらっと合唱団の楽屋を訪れました。まだ集合時間には間があったその部屋には、私ともうひとりしかいなかったのですが、氏は非常ににこやかな顔で部屋の中に入ってこられました。私はごく簡単な挨拶と固い握手を交わしたのですが、今から考えると、ともすると圧迫感に包まれがちな私たちを激励してくださるための心遣いだったのかもしれません。

マスタークラスの前半は、カウンターテノールの上杉清仁さん、ソプラノの野々下由香里さん・懸田奈緒子さんによる、クープランとカンプラの歌曲。フランス語の歌詞を持つ美しい曲ですが、当時の楽譜を使って、様式感を表出して歌うことを考えると大変な選曲です。お三方とも見事にまとめていらっしゃいましたが、クリスティ氏はまず受講者の美点を徹底的に褒められ、そのあと楽曲の構造を解き明かすことを中心に、丁寧な解説と指導をしていらっしゃいました。私たちはその様子を楽屋のモニターテレビで見ていたのですが、やはりプロはひと味違う、せっかくクリスティ氏がご機嫌で指導なさっているのに、休憩後に私たちのようなアマチュアが入っていったらどんなことになるのだろう、と随分心細い思いをしておりました。

結果から言えば、そうした心配は杞憂でした。氏は私たちにも同じように懇切な指導を行い、褒めるべき点は褒め、改善すべき点ははっきりと指摘してくださいました。アンサンブルのまとまり具合、正確さについては、当団が培ってきた特長として過分なほどの讃辞を頂戴しました。その代わり、それは裏を返せば「こじんまりとまとめてしまっている」ことでもあり、もっと爆発的な表現力が必要である旨指摘がありました。また英語の発音については改善の必要があること、クリスティ氏の指揮では、言葉の専門家を2人呼び、その2人のディスカッションから発音や言葉の問題を詰めていくのだ、という具体例を挙げてアドヴァイスしてくださいました。さらに野中個人に対しては、第4曲の3拍子について、1拍目を強調しすぎると音楽全体が角々しくなるから1小節をひとつに振るべきであること、第44曲「ハレルヤ」はモニュメンタルな曲であるから堂々とした風格が欲しい、テンポが速すぎるのではないか(これは指揮者の判断によることだから、という留保をもちろんつけられましたが)、というご指摘がありました。

今回のワークショップで最も興味深かったのがこのことです。私のテンポは大体現在のイギリス系合唱団が多く採用している、軽くて透明なイメージを喚起させるものだったのですが、氏は「もっと遅く」と強調されました。彼は、教え子がテンポが速くフレーズが切れ切れになる演奏をした場合には、「それじゃまるで『古楽』だよ」と言ってたしなめられるのだそうです。世上には私などよりもはるかに速いテンポをとる指揮者もいるくらいですから、まさしく「古楽の王道」を走ってきたと思われるクリスティ氏がこうした指摘をなさるとは、正直に言って全く思いませんでした。思わないどころか、事前の練習ではもっと速いテンポを要求されるのでは、と危惧していたほどだったのです。私は古楽の演奏を主にする者としては緩いテンポをとるほうなので、氏の指摘には心強い思いがしました。現にワークショップの最後、「ハレルヤ」をもう一度ゆっくりと、フォルテに力不足がないよう丁寧に振ったところ、聴講者の皆様の反応が瞬く間に変わったことが実感できました。すべてが終了した後、クリスティ氏はまたも固い握手で私をねぎらってくださいました。随分と言いたいこともおありだったのでしょうが、こうして紳士的に、私たちの良い点を引き出すことに腐心してくださったクリスティ氏に、心からの感謝を捧げたいと思います。

今回の企画は、私たちにとって本当に貴重な経験となりました。この企画を打ち出された「アスペン」の皆様、通訳を務めていただいた関根敏子先生をはじめとする多くの方々には、本当にお世話になりました。この経験を生かし、秋の演奏会シーズンを充実したものにしようと思います。それでは、当ホームページをごゆっくりお楽しみください。


2002年8月29日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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