合唱団スコラ・カントールムのホームページにおいでの皆様、明けましておめでとうございます。あらゆる局面で先行きが不透明な昨今の日本ですが、ともかくも無事に年は改まりました。現実を見据えつつも、大きな希望を持って新たな1年を開始したいと思っています。
ではあなたの言う「大きな希望」とは何なのですか、という問いが発せられるかもしれません。私個人としては、音楽家として、そして教育者として抱えている仕事を一所懸命に務めることだ、ということになります。それが本当に「大きな希望」だとしたら、随分寂しいことを言うものだ、と思われるかもしれませんが、それが現在の私の正直な気持ちです。パーソナルな内容ゆえ具体的には書けないのですが、これから始まるいろいろな仕事が、胸を躍らせるような高揚感を持てるものであろうことだけは予想できます。特に教える側の人間としてこれからも多くの若い人たちと関わっていけるということは、掛け値なしに貴重なことです。昨年も授業を通して様々な出会いがあり、今後を心から応援したくなるような若者たちを知ることができました。生徒に接している時にはいつまでも気は若いつもりで、そう年の離れていない先輩という感覚で過ごしてきたのですが、考えてみれば来年には「平成生まれ」の高校生が入学してくるのです。そろそろ年相応の自覚を持ち、これから伸びていく若い芽を大切に育てていかねばならないと感じます。そう考えると、もっともっと自分に厳しくならねばならないということは自明の理です。年頭にあたり、心構えを新たにしております。
さて「合唱団スコラ・カントールム」の主催者としてはどうか、ということですが、これは団設立以来変わらない目標があり、それが「大きな希望」でもあります。このホームページのどこかに書いてあることですが、「音程の正確で表現力の豊かな音楽の創造を目指す」ということ、ひいては「アマチュアの自主運営でどこまでのレベルに達するかのチャレンジをする」ということです。この目標自体は、額に入れてお題目として崇め奉っておくような、抽象的なものです。現に、これは具体性を欠いた、主催者の意図がわからないものとして団員の批判を浴びたこともあります。そしてその批判は全く正しいと、私自身も認めます。しかし、この合唱団は何か一つの目標を主催者が立て、その目標に向かって団員全体が追随していくという姿勢で活動してきたのではありません。むしろ、「現状で最高のものを作るには、何をすればよいのか」という観点で、皆が一つにまとまってきたのだと私は思っています。そのためには、あまりに視野を狭くした、具体的な目標は必要ないのではないか、と私は考えてきたのです。「アマチュアの自主運営」にこだわる理由も、そこにあります。
昨年ウィリアム・クリスティ氏のレッスンを受講して痛感したことですが、この合唱団は音程を正確にとり、様式感を持って音楽をまとめることには、相当慣れてきたようです。しかし、「表現力の豊かな」という点については改善の余地が多いというのが実情です。それをより具体的に言い換えれば、ダイナミックレンジの幅が狭い、特に人数の割にはフォルテが小さい、ということになりましょう。これはルネサンスの無伴奏曲を歌うために意識的にそうしてきたことが与っていると思います。2003年は、この弱点を克服していくことが最重要課題となるでしょう。そのためには、3月21日の演奏曲についてより深いアナリーゼを行い、団員一人一人が上記の問題点を自然に意識化できるようにすることはもちろん、新たに練習する曲の声部数や曲の構成を緻密に考え、私たちにとっても、聴いてくださる皆様にとっても興味深いプログラミングをすることが必要になります。今年の「大きな希望」は、これらがすべて実現された、充実のステージをお届けすることです。
とはいえ、理想の演奏は演奏する人、聴く人それぞれに違うものでしょうし、完璧な演奏は(特にアマチュアにとっては)あり得ないものでありましょう。そうだとすれば、「大きな希望」はそれこそ永遠に希望であり続けます。私たちは、とにかく今年も真面目に練習し、真面目に演奏活動を続けます。「大きな希望」に適う、大きな声援を心からお願い申し上げて、新年のご挨拶といたします。