3月21日の朝は、快晴のもとに始まりました。演奏会のことを書くと毎回天気のことばかりなので、顔をしかめられる方もいらっしゃるとは思います。しかし私にとっては重大なことなので、どうしても気にしないわけにはまいりません。もちろん「雨男」の汚名を返上したいとの気持ちもありますが、何よりこの時期は、団員の花粉症への対応がどの程度必要になるかが気がかりです。また、集客への影響も気になります。風も静かで、まずは願ってもないスタートです。ただ、昨年10月の第4回特別演奏会のように、夕方から雨にたたられる、という例もあります。おそるおそる見た天気予報は、一日中晴れ。何となくよい気分のまま、荷物を車に積み込んで出発致しました。
自宅から会場まで40分あまり、カーラジオは刻々とイラク攻撃の詳報を伝えていました。今日、日本にだって何があるか分からない。無事に演奏会を終えることができるのだろうか。そして私たちの演奏する曲が葬送音楽ばかりであることは、一体何の因縁なのだろうか。そういえば、今日の客演者には、もうすぐバッハ・コレギウム・ジャパンのアメリカ・ツアーに出かけられる方もいる。こんな複雑な思いを抱き、平和の大切さを痛感しながら会場に到着したのは、今回が初めてです。
ゲネラルプローベから本番を終えるまでは、あっという間でした。大曲を2つだけ、という演奏会ですから、ともすれば緊張がゆるみ、演奏の集中力が欠け、時間の経つのが遅く感じられる瞬間があったとしても不思議ではありません。しかし今回は、全くそのような感覚がありませんでした。特に50分近くを費やすビクトリアの《死者のための聖務曲集》が、あっという間に終わってしまったのは、正直言って意外であり、驚きでした。演奏の出来については、これもいつも申し上げているとおり皆様のご判断に委ねるより他ないのですが、私としては、これだけ集中した演奏はありませんでした。練習で培ってきたことをあそこまで出し切ることのできた本番というのも過去にありません。自己満足に浸ることは厳に慎まねばなりませんが、これと同じ演奏をもう一度やれといわれても無理だと思えるほど、本番は全力投球したという印象がありました。全くの無伴奏ですから、最初のピッチを決めるグレゴリオ聖歌の先唱者の緊張は想像を絶します。それを堂々とやり遂げてくれたソプラノの小出絢子には、心からの敬意を表したいと思います。
休憩を挟んでの第2部、カウンターテノールの青木洋也氏によるシュッツの《クライネ・ガイストリヒェ・コンツェルテ》は、今伸び盛りの若手演奏家の、旬の歌声をご堪能いただけたのではないでしょうか。青木氏は今週3度の本番を抱えるというハードスケジュール(前日の20日には、芸大古楽科の発表会で、ストラデッラ作曲《洗礼者ヨハネ》のタイトル・ロールを歌う、という大役を果たしたばかりです)の中、誠実な歌唱を聴かせてくださいました。
そしてシュッツの《音楽による葬送》ですが、この曲を再度取り上げたのには理由があります。以前の演奏(1997年3月、第6回定期演奏会)では、合唱団の消化力がもうひとつだったという事情に加え、私自身、この素晴らしい葬送曲の表面的な理解しかできていなかったのではないか、という思いがしきりでした。より具体的には、私の設定したテンポは速すぎたのではないかということ。そして、表現すべきポイントでは落差のあるデュナーミクを駆使し、思い切って大胆な表現を試みるべきである、ということ。これらを意識した上で、今のメンバーならば望みうる最高の表現ができるのではないか、とかなり気合いを入れて臨んだステージでした。結果は、これも皆様の判断にお任せするしかありません。気合いが入った分、事故も多々ありました。しかし、事故を恐れずに、全員よく前向きに歌ってくれました。戴いた感想では、ビクトリアよりも一層、歌手の「気」が飛んできて圧倒された、という声を多く見かけました。特にソロの大貫浩史の本番での装飾の嵐(リハーサルまでは秘匿していたようです)は、完全に私を燃え立たせました。こうした音楽上のコミュニケーションができるということは、やはりあの瞬間は幸せだったとしか申し上げようがありません。
入場者数は263名。王子ホールで行われた10周年記念演奏会「バッハ:ヨハネ受難曲」を除けば、過去最高を記録しました。こんな地味なプログラムで、これだけの人に、充実した演奏を聴いていただけたことを、私は心から誇りに思います。これに油断せず、今後も私たちは地道な活動を行うべく、地道な努力を続けようと思います。どうぞ皆様、14年目を迎えたスコラ・カントールムに、これからもご支援とご鞭撻をお願い申し上げます。第12回定期演奏会の成功裡にての終了を心より感謝してご挨拶と致します。