主宰者(指揮者)ご挨拶


東京はやっと梅雨が明けました。梅雨明けと同時に、このホームページも再始動です。この1ヶ月、更新が全く出来ないままに過ぎてしまいました。弁解のしようもありません。まことに申し訳ありませんでした。ご多分に漏れず本業の忙しさが原因ですが、今年は1年生の担任を持っているせいか、夏休みに入っても何となく落ち着かない日々が続きます。とはいえ、今年は久しぶり・・・15年ぶりにラケットを持ち、顧問としてソフトテニス部の合宿にも行ってまいりました。高校生と同じメニューで一日中運動するのは全く難儀なことでしたが、その分体重も体脂肪も減り、健康的な生活はよいものだ、と実感しています。この調子で音楽の方にも力を注いでいきたいと思っておりますが、さてどうなりますことか。

夏になって最初の仕事は、バッハ・コレギウム・ジャパンのインタビュー記事をまとめることです。5月にBCJのコンサートでプログラムを購入された方は、ああ、あのことか、とお気づきでしょう。私がインタビュアーと文章構成を担当して、BCJメンバーの現在まで、そしてこれからを追いかけるという企画です。初回は、当団の第3回特別演奏会に客演していただいたオルガニストの今井奈緒子さんでした。では今まとめているのは誰の分なのか、ということになりますが、それは次回BCJ定期演奏会まで楽しみにお待ちいただきたいと思います。

私はこれまで公の場でインタビューをすることも、受けることも全くありませんでした。当たり前と言ってしまえばそれまでですが、それが記事の不出来の言い訳になるはずはありません。今年2月に今井さんとのインタビューを行ったときは、それこそ緊張の連続でした。また、録音されたテープから中心となる話題を掘り起こし、読みやすいように編集していくというのは想像以上に大変な仕事です。プログラム担当の方々にはご迷惑を掛けましたが、懇切丁寧なご指導をいただきながら何とか形にまとめられたのは、私にとって本当に貴重な経験となりました。

私がひしひしと感じたのは、こうした仕事もまた、確実にクリエイティヴな作業なのだということです。もちろんBCJの存在価値、広く言えば音楽団体の存在価値は、まずその充実した音楽活動にあることは間違いありません。また、巷間には「難しいことをごたごたと言うな。音楽の善し悪しなんて、聴けばわかる」という論調もあります。しかし、プログラムに代表される「添付資料」がおろそかであってよいはずはありません。特に、BCJもスコラ・カントールムも「古楽」と呼ばれるジャンルを扱っています(この括り方は極めて大雑把ですが)。こうした古い、母国語ならぬテキストを持ち、かつ宗教的内容にかなりの程度密着する音楽を扱う場合、「聴いただけでわかる」範囲は大変に限られてしまいます。歌詞対訳や、専門的に高度にならない範囲での学問的解説などは、こうした場合不可欠ともいえる重要さを持ちます。さらに古楽が一般的な存在となり、いくつもの団体が個性を競う今日では、その音楽創造の仕組みや、メンバーの個人的思考がどのようなものであるかを理解することも楽しいことです。それはファンとして情報を得ることの満足をもたらすことはもちろんですが、逆に、音楽を固定化した目で歪めて見ることを防ぎ、再現芸術としての音楽の多様性をつかむ手助けともなるのです。ある人の考え方を知って、それを相対的に理解し、他人の演奏はどこが違い、どこが個性なのかを考える。それは人間の知的世界に関わる本能的欲求ともいうべきもので、誰がいかに拒絶しようともどこかでぬっと頭をもたげてくる、そんな存在だと思います。

私の拙いインタビュー構成(文章は今井さんとの共同作業で固めたものです)がどこまでそうした欲求を満たしうるのかは、厳しいご批判を待つより他にありません。しかしよいものを目指して文章と構成を磨き上げていく作業は、苦しくも心躍る作業です。こうした企画を考案され、しかもその仕事を、同じ音楽を愛し、研究し、演奏し続けている私にお任せくださった担当の方々に、心からの感謝を捧げたいと思います。

スコラ・カントールムは7月26日に初めての団員総会を終え、前期の活動を終了しました。8月30日から、まず大きな目標である「栃木[蔵の街]音楽祭」に向けて、パレストリーナ「教皇マルチェルスのミサ」の追い込みに入ります。「栃木」については近日中に別項で詳しくお伝え致しますが、音楽祭当日にまた皆様とお会いできるのを今から楽しみにしております。これからは更新もこまめに続けるつもりですので、どうぞ今後ともこのホームページをご贔屓にお願い申し上げます。


2003年8月3日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


このページのトップに戻る