夏の終わりと同時に、スコラ・カントールムは再始動をいたします。1ヶ月間の長い夏休み、団員はそれぞれに充電の日々を送っていたことと思います。前期の貯金がありますので、このあとの「栃木」までのラスト・スパートにあまり不安は感じていないのですが、問題は団員の音楽に対するカンがどこまで戻るかです。何事によらず、成否は不断の練習が左右します。ブランクはマイナス要因であることは否めません。しかし同じサイクルで14年も活動しているわけですから、あまりネガティブな発想をせず「たくさん休んで、また新たな気持ちで頑張ろう」という方向で考えていきたいと思います。
夏の終わり、過去の思い出が浮かんできてどうにも感傷的になる日があります。ちょうど今頃の季節、昔は何をしていたのか。私は学生生活を終えてすぐに教員になりましたので、やはり夏休み、夏という季節に思い入れがあるのでしょう。私が今はなき全寮制秋川高校で勤務した最後の夏、2000年には三宅島からの避難児童生徒受け入れという大きな出来事がありました。私に大変なインパクトを与えたこの夏から、もう3年の月日が経っているのです。ついこの間のような気がするのは、それだけ私が歳をとった証拠なのでしょうか。それ以前の夏は、寮に寝泊まりをする、という毎日の緊張感から解放され、久々にまとまった研究や勉強ができる時間でした。これも、夏休みの研修制度が実質的に剥奪された今では、昔語りにすぎません。
さらに遡って大学生時代の夏休みはどうだったかというと、これも自分で自由に時間を使いながら、音楽の基礎的な知識の吸収に全力を傾けていたと思います。私の入っていた「室内合唱団」は原則として夏休みは練習なし、夏の終わりのちょうど今頃に1週間程度の合宿を行って後期を開始する、というパターンでした。2年生の夏からは、私は合宿で「レコード・コンサート」の企画と解説をすることになりました。そこで練習オフの期間中、私はルネサンス・バロック期の音楽に関する啓蒙書や辞典類を読み、その内容をダイジェストにまとめる、そして手持ちのレコード(CDはまだ出たばかりで品揃えが極端に薄かったのです)から、各時代や個人様式を明瞭に映し出す曲を選択する、という仕事に没頭しました。今から考えると、ここでの基礎作業と、発足したばかりの「音楽史研究会」での勉強(そういえば、この研究会でも一回だけ夏合宿をやった記憶があります)が、私の音楽人生の土台を作ってくれたのだと思います。その時に作ったレジュメは、足かけ3年で「ミサ曲」「カンタータ」「モテット」「近年の古楽演奏」の4編で、まとめると3センチメートルほどの厚さになりました。大学の卒業にあたって、私はその1枚1枚を糊で貼り合わせ、表紙を付けて製本しました。2冊作りましたが、1冊は私の手元にあり、今でもちょっとした調べものをするときに開いています。もう1冊は合唱団に寄贈したのですが、その後はどうなっているのでしょうか。いずれにしても、懐かしい思い出です。
私のことはさておき、一般的に言って、よい仕事をし、すぐれた成果を上げるには、集中力が必要です。また、それを産み出すのは心と時間の余裕です。このあたりが、現在の日本、特に教育に関する分野では、どうにもうまくいっていない気がします。
しかしスコラ・カントールムが夏休みを設けているのは、単に休みたいから休んでいるのであって、社会的なこととは全く関係がありません。ともかくも、後期がスタートします。皆様によりよい音楽をお届けできるよう、団員一同心を引き締めて参りたいと思います。