主宰者(指揮者)ご挨拶


第13回定期演奏会を明日に控え、私たちはこれから最後の練習を行います。今年は日曜日の演奏会ということで、前日にもかなり時間をとって練習できることは幸せです。振り返ってみますと、スコラ・カントールムの演奏会は第1回から第3回まで、護国寺の同仁キリスト教会で日曜日の午後に行われていました。教会は日曜日の午前中に礼拝があり、その準備のために土曜日が使えないからです。現在私たちが、原則として土曜日の夜に演奏会を開く理由はいくつかあります。@夕刻の開演にくらべ、夜開演のほうがお客様に来ていただきやすい。A翌日が休日なので、お客様も、歌う側も余裕と安心感がある。Bゲネプロの時間が多く取れ、余裕がある。

この他、番外として「打ち上げで思いっきり飲める。」というのもあります。私たちの目的は、自分たちとして納得のいく演奏を行い、お客様に十分楽しんでいただくことに尽きます。しかし、演奏会の後に控えている「打ち上げ」と称する宴会もまた、大きな楽しみであることは間違いありません。どういうわけか歌い手にはお酒が好きな人が多く、当団結成の頃の打ち上げは、皆若かったことも手伝ってか、かなり深酒をした覚えがあります。翌日は出勤だというのに、終電近くまでねばって大騒ぎ、というのは今では考えられないことです。

打ち上げが盛り上がるための要素は、たった一つです。自分たちが、全力を出し切ったと感じられた時には、多少のミス(あってはならないことなのですが……)があっても、相当気分がハイになり、おいしいお酒を飲むことができます。逆に、傷のない無難な演奏をし、お客様にもたくさん来ていただいたとしても、どこかしら表現の足りないところがある場合、どうしても打ち上げは反省会のようになってしまいます。本番というのは一回きりの怖いものです。今まで努力を積み上げてきたものが、コンディションの調整の失敗や、一瞬の油断でガタガタと崩れることもあります。あるいは事前の練習で詰め切れなかった部分がある場合、それは如実に本番で自信のない音となって客席に飛んでいきます。私たちは、こうした怖さを身をもって経験してきました。指揮者の演奏会当日の仕事は、いかに団員のテンションを高く保ち続け、終演までのペース配分を計算するかにかかっています。ここを間違えると、ゲネプロにピークを迎えてしまうことが往々にしてあるのです。

しかしながら音楽とは生きものであり、面白いものです。こちらがいくら抑制していても、団員の熱演が指揮者を押し切ってしまい、思いもよらなかった昂揚をもたらすことがあります。昨年の定期演奏会などはその典型でした。ソリストを務めてくれた大貫浩史が本番であおるような即興的装飾を連発し、それに刺激されて団員も指揮者も燃えたちました。練習ではありえなかった情熱的な表現が演奏会場を満たしていく様子を体で感じたとき、これだから音楽はやめられない、生演奏は貴重なのだ、と改めて実感しました。また、練習でもうひとつ納得いかない状態だった箇所がうそのようにうまくいったとき、その後の部分の演奏は見違えるように生き生きとしてきます。こういう体験は決してそう何回もできるものではないのですが、さて今回はどうなるのか。それは誰にもわかりません。本番を翌日に控えた私たちに出来ることは、もはや自分のコンディションを最高に整えておくことしかありません。そして指揮者としての私は、ミスを恐れずに果敢に表現する姿勢を貫き、団員の持つ力をすべて引き出すために最後まで考え抜こう、と思っています。では明日、武蔵野市民文化会館小ホールでお会いできるのを楽しみにしております。  


2004年3月13日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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