主宰者(指揮者)ご挨拶


夏の終わりから更新ができずにいるうちに、スコラ・カントールムの第5回特別演奏会が目前に迫りました。おのれの怠惰を恥じ入るばかりですが、勤務先では、秋は行事の季節です。そのひとつひとつに取り組んでおりますと、時間があっという間に経ってしまいます。私はこの間に39歳の誕生日を迎えました。不惑まであと残すところ1年となりましたが、心は惑うことだらけです。孔子は本気でこんなことを言ったのかな、などと不謹慎なことを考える自分を恥じるばかりの日が続きます。過ぎゆく時はあまりにも早く、人生ははかない。そんな中で出会えた音楽と人々とを、大事にして行かねばならないと強く思います。

1週間後に迫った演奏会に向けて、現在最後の追い込みが続いております。とにかく、当日まで全く気が抜けない曲が揃ってしまったな、というのが正直な感想です。メインとなるオブレヒトの「ミサ・カプト」には、複雑なリズムが錯綜する部分(これはうまくいけば、演奏する側も聴く側も、滅多にない快感を得られるところです)が現れます。何度も練習して暗譜し、もう慣れたと思っているのですが、それでも事故は起こります。各パートは錯綜していますから、あるパートのたったひとつのミスが、曲全体を台無しにしかねません。現在の練習は、まるで小さな子どもがピアノのお稽古をするように、テンポを落として音程とリズムを何度も確認し、危ないところを出来うる限り潰すことを目標にしています。曲の表情などは練習を通じてだいぶ明確になってきたと思うのですが、こうした、メカニカルな、基本的な事項をおろそかにすると、思わず足下をすくわれます。演奏会が終了するまで、緊張のほぐれる時がありません。しかし、この曲にはそれだけの時間と労力をかけたことを補ってあまりある喜びがあります。

他に演奏するモテトゥス4曲は、こうした特異な顔を持つミサ曲との対比を鮮明に描き出すことを目標としています。詳しくは、当日配布されるプログラムの中に、当団員の植村元興が解説を書いておりますのでそちらをご参照ください。ミサ曲はオブレヒトという天才音楽家の個人様式とも言える独特の世界を持っているのに対し、他の作曲家の手によるモテトゥスは、当時の標準的な様式を踏襲しています。しかし、「標準的」とは言ってもその内容がさまざまであることはおわかりでしょう。あるものはミサ曲と同じように、長く引き延ばしされた定旋律を曲の土台として置いていますが、その周囲を取り巻く対旋律が模倣様式で書かれていたりします。またあるものはほとんど和声様式(ホモフォニー)によっており、細かい音符による経過句がありながらも、歌詞が鮮明に聞き取れます。芸術の内容が時代の潮流によってある程度規定されるのは当然ですが、それは公式化された、誰のどの曲についてもあてはまるものではありません。そうした多様性を描き出せれば、私たちとしては満足してよいのだろうと思います。

今回の特別演奏会開催に当たっては、多くの方々にお世話になりました。特に、この「オブレヒト・フェスティバル」への参加を呼びかけてくださった、ヴォーカルアンサンブル・カペラの花井哲郎先生、事務局の大塚真弓様には、心からの感謝を捧げたいと存じます。あと1週間、最後まで粘って、少しでも充実した演奏会になるよう努力いたします。チケットもまだ若干余りがございますので、是非ご予約の上、10月15日には護国寺・同仁キリスト教会に足をお運びくださいますよう、お願いいたします。


2005年10月8日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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