主宰者(指揮者)ご挨拶


第14回定期演奏会の開催が、明日に迫りました。シェーンベルクなど、ア・カペラのみの難曲を揃えた前回の演奏会からすでに1年近くが過ぎてしまったのだと思うと、感慨深いものがあります。この間、私は思いがけぬ病を得て休養するなど、様々な出来事がありました。昨秋以降、手探りの状態を続けながらも、何とか合唱団の指揮者・代表として復帰することができたのは、もちろん団員の支えがあってのことですが、いつも当団の演奏をお聴きいただく方々からお寄せいただいた温かい励ましが大変に嬉しく、勇気づけられることしきりでした。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。

今回の演奏会は、昨年とは全く趣向を変えました。すべてドイツ・バロックの宗教曲ばかり、歌詞はドイツ語のみ、すべてに少なくとも通奏低音がつきます。ア・カペラのステージがひとつもない、というのは当団としては珍しいことですが、それは「J.S.バッハに至る道」というコンセプトに忠実であった結果です。ここにとりあげた作曲家たちの音楽語法が、すべて地下水脈で繋がっており、そのすべてがヨハン・セバスティアンへと流れ込んでいったのだということがおわかりいただけるでしょう。

しかしそうした音楽史的な興味もさることながら、本日演奏される1曲1曲が、聴く人の心をつかんで離さない充実した作品ばかりである、ということもここで改めて強調しておきたいと思います。ブクステフーデもセバスティアン以外のバッハたちも、奇抜な、手の込んだ技法は使っていません。しかしその構想力、要所要所の和声連結の美しさ、控えめに使われる対位法技法の驚くべき効果、そして何より歌詞の内容をしっかりと映し出す旋律の妙は、演奏しているうちにその味わいがどんどん深くなっていくのが実感できます。演奏する、という行為は「素晴らしい作品を、その持つ魅力を最大限に引き出すように工夫努力する」ことが第一義としてあり、そのために時には辛い練習も乗り越えて行かなくてはならないのだと思います。何かしら歴史的な興味であるとか、演奏会のコンセプトばかりが前面に押し出され、1曲1曲の魅力がそれによって犠牲になることは避けたい、というのが、選曲に対する私の個人的な(決して団としての、ではありません)考え方です。その意味では、今回もバランスの取れた演奏会に仕上がりそうだな、という自信を持って本番に臨むことができました。これはもちろん、わずかな練習時間でありながら、各々の曲を深く把握し、適切な表現を探求し実現する素晴らしい客演の皆様あってのことです。

明日は堂々と、持てる力を出し切って、曲の魅力に少しでも深く迫り得る演奏をしたいと思います。皆様のお出でを、心よりお待ち申し上げております。


2005年2月11日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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