主宰者(指揮者)ご挨拶


スコラ・カントールムのホームページにおいでの皆様、いつもご愛読ありがとうございます。4月10日、このホームページのアクセスカウンタが20000の大台に乗りました。素人が見よう見まねで作っているホームページですので、更新も不定期ですし、何かと行き届かないところが多々ございます。そんな状態でもこれだけ多くの方々にアクセスしていただいたのは、制作者にとって何よりの励みです。これから後も、拙くとも誠実な内容になるよう、努力していくつもりです。皆様のご支援、ご意見を賜りますようお願い申し上げます。

4月に入り、約1ヶ月にわたるオフが終了しました。10月の第5回特別演奏会に向けての練習が始まっております。オブレヒトの「ミサ・カプト」をほぼ譜読みしたところですが、実際に歌ってみると、譜面を見ていたり、CDを聴いたりしていただけではわからない魅力がたくさんあることに気づきます。オブレヒトの書く旋律線は、和声の透明さを絶対に損なわないのだという実感もそのひとつです。旋律は適度なうねりを持ちながら常に先に向かって流れ、その中で和声が純粋に響く一番良い配置をはずしません。実際に練習で声を合わせてみたとき、まだ譜読みの段階で、単純に楽譜を音にしただけの状態なのに、非常にナチュラルなイメージの空間がそこに現れたことに驚きました。オブレヒトの音楽は、その場での思いつきの解釈によっていじくり回されることを拒絶するのだと思います。歌う側が変な色づけをするのではなく、楽譜と真剣に対峙することによって、見えてきた事柄を素直に音に転換する、そうしたストイックな作業が求められているような気がしました。特にグローリアとクレドでは、リズムが錯綜してスリリングな効果を生み出す場面が多くあります。これは練習によって克服しなくてはならない難所ですが、何度も愚直な練習を積み重ね、各パートがお互いの息づかいや歌い方のクセなどを理解し合って初めて、オブレヒトの描いた世界が現れてくるのでしょう。これに「解釈」という色気を付け加えようとして、単純な練習の繰り返しを嫌うと足下をすくわれるような気がします。子供の頃、ピアノで弾きにくいところが出てきたら、「とにかくゆっくりと何度もさらうように」と教わった方はたくさんいらっしゃるでしょう。「ミサ・カプト」はそれと同じような心境になって精進することが特に必要とされる曲のようです。

昨日は練習の後、数人で食事とお酒をともにしながら、「こうした素晴らしい曲を演奏する機会を与えられたことには、本当に感謝しなければならないね」といったような会話が続きました。自分たちだけでは、なかなかこうした長大なポリフォニーの世界に挑戦しようという気が起こらない、というのが恥ずかしながら率直な実感です。しかし歌ってみると、この曲の美点がどんどん体に伝わってきます。同じ定旋律を同じように長く引き延ばして作った曲でありながら、グローリアの輝かしさとアニュス・デイの安らぎの世界との対比は見事なものです。今、私は指揮者として、この曲に出会えたことに心からの感謝の念を抱かずにはいられません。そしてそれは、この曲を演奏するように誘っていただいた花井哲郎様はじめ、「オブレヒト・フェスティヴァル」に関わるすべての方々への感謝でもあります。


2005年4月10日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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