主宰者(指揮者)ご挨拶


気温の定まらない日々が続いていますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。怒濤のような仕事に追いまくられた5月・6月が終わったと思ったら、勤め先の学校では、もう学期末の7月を迎えます。仕事をしているときの時間の流れは、その場ではあっという間に過ぎ去った感じがしても、ふと振り返ってみると、厖大な時間が流れたように思うものです。前回の演奏会が、本当に遠い昔の出来事のように思えます。実際には、まだ半年も経っていないのですが・・・。しかし、目の前にはもう次の目標が近づいてきました。10月15日の「第5回特別演奏会」です。

ヤコブ・オブレヒトの「ミサ・カプト」をメインに据えたこの演奏会は、今年行われている「オブレヒト・フェスティヴァル」の「ミサ曲連続演奏企画」における最後の演奏会という位置づけを持っています。それだけに責任も大きいものと自覚して練習に励んでおりますが、「ミサ・カプト」はメカニカルな意味での難所が多く、演奏会当日まで気の抜けない日々が続くと思われます。「グローリア」「クレド」にはリズムが複雑に錯綜してスリリングな躍動感を生む部分があります。これは彼の他のミサ曲にも見られる特徴で、オブレヒトの個性を決定づけております。こうした場面では、歌手全員が音楽の流れを十分意識した上で、リズムが収斂する決め所(俗に「縦を合わせる」などと申します)をはずさないように気を使わなければなりません。オブレヒトの場合、そうした縦の決め所では美しい(あるいは意表をつく)和音がむき出しになり、全曲の山場となっていることが珍しくありませんので、どのパートも走らないよう、遅れないよう、細心の注意を払うことが要求されるわけです。かといって縦ばかりを気にしていると「カプト」の定旋律パートが死んでしまいます。定旋律も含めた4パートがうねるように、先へ先へと音楽を進めていく、この感覚を失うことは許されません(「カプトの定旋律」とは何か?とお思いの方もいらっしゃるでしょう。次回あたりで少し詳しくご説明しようと考えております)。なかなかの難物なのです。

さらに練習を進めていく中で、後半の「サンクトゥス」「アニュス・デイ」のパート・バランスをとることの難しさも実感されるようになりました。ジョスカンと同世代の作曲家の作品に共通する問題として、ピッチがあります。当時の宗教曲は混声4部を基本にして書かれていたわけではありません。教会では女声が排除されましたから、ボーイソプラノやカウンターテノールを使って、男声だけで演奏していたわけです。従って内声の幅が広く、女声ソプラノの音域に合わせて移高すると、女声アルトには低すぎ、男声テノールには高すぎるケースが多発します。「ミサ・カプト」の内声部も例外ではありません。「サンクトゥス」では、テノールが、現代記譜法でいう「五線の上をさまよう」状態になってしまいます。逆に「アニュス・デイ」では最高声部はアルトの音域なのに、バスは通常の音域を定旋律で朗々と歌い進めていくのです。こうした中で、総勢20人を越えるアマチュア合唱団が透明な響きとバランスを保っていくのは容易なことではありません。

しかし、私たちはこうした難しい部分を練習し、克服することに大きな喜びを覚えています。この曲を納得いくように仕上げられたならば、私たちのルネサンス・ポリフォニーへの対応力は確実にアップしたと言い切ることができるでしょう。また、パート・バランスを探るため、団員はいろいろなパートを譜読みし、必要に応じて部分的にパートを変更する、といった荒技を要求されています。ひとつのパートだけに習熟するのではなく、様々なパートを練習していくことは、団員の音楽的な幅を広げるはずです。特に私は、わずかずつではありますが、練習を重ねるごとに、曲が「オブレヒトらしく」なっていくのを耳にすることができ、わくわくしています。オブレヒトの音世界は、定旋律ミサという厳格な形式の中でも、常に自由で、伸びやかです。それが、団員の作り出す音楽から見事に伝わってくるようになってきています。極限まで集中力が要求され、神経の休まらない団員たちが、はしゃぐ私を見てどう思っているのかはわかりませんが。

先日、大学時代に所属した「室内合唱団」の後輩諸君が、オブレヒトの「ミサ・マルール・ム・バ」を演奏するのを聴きました。奇を衒わない、誠実かつ実に熱のある演奏でした。馬齢を重ね、経験に頼りがちな私としては、若い人々から純粋なエネルギーを得たような気がしています。10月まであと3ヶ月、最後まで研究を積み重ね、必ず皆様にご満足いただける演奏会にしたいと思います。もうすぐ、このホームページ上でもチケットのお申し込みを承るコーナーを開設致します。どうそ皆様、お誘い合わせの上ご来場ください。


2005年7月5日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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