主宰者(指揮者)ご挨拶


新しい年が始まりました。子供の頃の私にとって、大晦日と元旦はともに特別な一日でした。いつもと変わらない町並みのはずなのに、大晦日の夕暮れは賑わいの中にどこか淋しさを宿しているのが不思議でたまりませんでした。そして一夜明けるとすがすがしい陽光が窓から差し込み、家の周りすべてが静寂の中に息づいているのを実感します。自分のもとに来る数少ない年賀状を眺め、午後になると寒風をついて凧揚げに興じるのです。

いま、近所では凧揚げをしている子を滅多に見かけません。自分自身も正月早々、たまった仕事の消化を心がけている有様です。年賀状はさまざまな機械のおかげで作るのが楽になりましたが、以前はクリスマス以前に投函していたはずのものを、今では大晦日に間に合わせるのがやっとです。単に歳をとっただけなのかもしれませんが、少年時代のことをいたずらに懐古趣味だと片づけることができずにいます。

今日届いた年賀状の中に、私が最初に赴任した高校にいらっしゃった大先輩からのものがありました。そこには「そろそろ重責を担うころなのでは」と書かれており、健康に留意する旨の温かい言葉が連ねてありました。持つべきものは良い先輩だ、と再認識せざるを得ませんでした。私は今年、不惑を迎えます。仕事の面では責任を持つ立場にならない方が難しいでしょう。そして2年前に突発性難聴に罹患した私としては、「厄年」というものを考案した先人の知恵に、全く感服しているわけです。スコラ・カントールムを始めた頃の自分は、もう失われて戻っては来ない。限られた時間と体力を総動員して、残された時間でどこまで頑張っていけるか、というのは痛切な問題です。しかし、自分のどこかに、もう一度若い頃の自分に立ち戻り、できなかったこと、中途半端にしてしまったことをやり直そう、何とか今ならまだ間に合うのではないか、と思う心が潜んでいることもまた事実です。少年時代を振り返れば、誰でもそうでしょうが後悔することばかりが思い浮かんできます。「昔は良かった」という意味合いではなく、「強烈に意識される過去を振り返り、至らざる部分に決着をつける」ことにこだわってしまうのは、この年代の特性でしょうか、それとも私個人の性癖なのでしょうか。

2006年は、スコラ・カントールム設立から17年目にあたります。私自身の年齢とも照らしあわせて、成熟の途をたどるべき位置にいることは明らかです。冷静に、しかし大胆に、今後の活動の中身を考えていかねばなりません。忙しさを言い訳にせず、しかし無理をせず、団員にも、応援してくださる皆様にもご満足いただける方法とは何なのか。自分自身の至らなさを振り返っているような私にとって、これは大変な難問以外の何ものでもありません。しかし逆に、難問ゆえにひとりで息んでいても仕方がない、皆の力を借り、皆に率直に相談しながら進んでいけばよいのだ、という心境にもなっております。

新年早々このような文章を読まされて、何だこれはと思われる向きもおありでしょうが、これも私の率直な姿勢の表れと御諒解いただき、倍旧のご支援を皆様にお願いする次第です。皆様、あけましておめでとうございます。どうか今年も、スコラ・カントールムをよろしくご指導ご鞭撻ください。


2006年1月1日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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