主宰者(指揮者)ご挨拶


弥生三月、今日は肌寒いものの、穏やかな快晴の一日となりました。近づいてくる春の兆しに相好を崩しているのは、もちろん私だけではないでしょう。またまた1ヶ月以上も更新が滞り、皆様にはお詫びのしようもありません。この間、私の受け持つ生徒たちは、センター入試、私立大学入試、国公立大学入試、と連続する試練をくぐり抜けて参りました。そして私自身は都立高校の選抜試験の様々な仕事を終えて、やっと一息ついたところです。選抜する側にも、される側にも厳しかった今年の冬が、やっと終わりを告げようとしています。

そうしているうちに、私たちの第15回定期演奏会まで、すでにあと1ヶ月を切りました。現在は譜読みを細かく確認しつつ、曲全体の雰囲気をつかみ、パート間のバランスを保つ訓練をしております。ひとくちに「バランスを保つ」と申しましても、練習の時の団員のテンションは一定ではなく、また練習会場と本番のホールでは響き方も全く違います。それを想定しながら、最終的にはいったいどんな響きが適切なのかを探っていくわけです。一昨年、東京交響楽団が川崎に本拠を移して話題になりましたが、あれはフランチャイズホールを練習会場としても確保できるという、すばらしいメリットがあったからです。このような恩恵にあずかれることは、プロの世界でも滅多にはありません。ましてアマチュアにおいてをや、です。

響きを探る、と申しましたが、これは文字通り「探っていく」作業です。音というものは、実際に出してみなければどんなことになるのかはわからない、完全な生きものです。バランスを保とうするあまり、極端に音を刈り込んでいく(=あるパートが突出しないように、神経を使って音量を抑え、響きのニュアンスを統一させていく)と、整理された清潔な響きはしますが、熱っぽさが失われてしまいます。アマチュアの演奏の最大の魅力のひとつがその曲に賭ける「パッション」であるとするならば、これは相当に危険なことです。実際、毎回お聴きいただいているお客様から、「音楽が舞台上で完結してしまっているのではないか。客席に何を伝えたいかがわからない。」というご意見を何度も頂戴しました。そのたびに、私は「全くご指摘の通り!」と反省しております。しかしながら、実際に練習場に立ったとき、ともすれば暴れ出す歌う側のエネルギー(これは決してネガティヴな意味で言っているのではありません)を、どうしてもまとめにかかってしまう癖から抜けられずにおります。

しかし、今回はかなり多くの器楽を用いるバッハの声楽作品ばかりを演奏致します。特にマニフィカトは、祝祭的な内容と楽器編成を持った明朗な傑作です。このあたりで、変にちぢこまらず、少し大胆に、今までになかった「開放的で、おおらかなスコラ・カントールム」を目指してみよう、という気になっています。あと1ヶ月の練習で、先ほども申し上げたように「刈り込んでいく」作業は不可欠となるのですが、そこで団員のパワーが減殺されることだけは決してないようにしたい。そのためには、指揮者である私が、武蔵野市民文化会館の響きを、記憶の中から正確に掘り起こし、それに見合う最も大胆な音楽を構想していかなければなりません。課せられた問題は難しく、時に怖くなることもあります。とはいえ、幸いなことに、私たちは武蔵野市民文化会館で演奏するようになってすでに10年を経過しています。さらに、今年は2日間用意したリハーサルのうち1日を、本番と同じ会場で行うことになりました。いつも同じ会場で演奏できることの利点を最大限に生かし、演奏会当日は、今までのスコラ・カントールムにない、奔放な魅力を持ったバッハをお届けできると思っております。どうぞ皆様、お誘い合わせの上ご来場ください。皆様のお出でを心よりお待ち申し上げて、今回のご挨拶と致します。


2006年3月4日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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