主宰者(指揮者)ご挨拶


今年はずいぶんと早く桜が咲きました。毎年、桜とともに新しい仕事の出発をしているせいでしょうか、春の兆しが相当前倒しになっていたような気が致します。私たちの第15回定期演奏会が行われた3月25日も、天候に恵まれた、春の足音を感じる一日でした。今回はスコラ・カントールム16年の歴史で最高となる323名のお客様に足をお運びいただき、バッハの大曲を精一杯演奏することができました。当日おいでいただいた皆様、そして客演の皆様をはじめとして、ご支援・ご協力をいただいたすべての方々に篤くお礼申し上げます。

今回の演奏会は、出演人数から言えば2000年の「ヨハネ受難曲」とほぼ同規模の大がかりな演奏会でした。しかも当団としては、初めてトランペット・ティンパニという祝祭的な楽器を使用した演奏会です。運搬方法からはじまって、数多い楽器を舞台にどうやって配置するのかなど、すべてを一から勉強しなければならない厳しさがありました。いつもは出入りが下手のみなのですが、今回は人数が多すぎ、上手も使用しなくてはならない、と気がついたのは本番当日でした。上手のドアの開閉には人数を用意していなかったのでちょっと青ざめてしまったのですが、そんな時に、こちらから何もお願いしていないのに、すぐに上手に回り、ドアのこと、椅子の出し入れなど、さっとお手伝いしていただいたのが、オルガン提供・調律をお願いした石井賢さんです。こうした方々に支えられて、今回も無事に演奏会を終えることができました。いつも痛感することですが、この合唱団は恵まれている、ということを改めて思い起こさずにはいられませんでした。

さて演奏の中身ですが、こればかりは、いつも申し上げているように、お聴きいただいた皆様のご批判を真摯に受け止めるしかありません。ただ、演奏会当日に伺った感想の多くは、「いつもと違って、こうした華やかなステージも実によいですね」というものでした。当団では、ルネサンス期のポリフォニー書法による宗教曲を、絶対に失ってはいけないホームグラウンドと見なしています。それは、これからも変わることがないでしょう。その基礎の上に立って、バッハのような和声的ポリフォニー、特に声楽フーガのような華麗な書法を追求することも、また大いなる楽しみであるわけです。今回、私は「多少アンサンブルの乱れがあっても構わない。小さくまとめるよりは、曲の持つスケールの大きさを出していこう」と考え、それを公表して本番に臨みました。そのねらいが大きくはずれなかったことだけは、演奏した者の実感として確信することができます。あとは、できあがった当日の実況録音を聴き、細かいところをチェックして次に生かしたいと思っております。

「細かいところ」と申しましたが、それは「細かいミス」ではありません。ライブですし、特にバッハの場合は一流の奏者をもってしても破綻を免れないような、尋常ならざる名人芸が要求される箇所もあります。そういった場所を克服するために私たちは練習を積み重ねるのですが、その努力が報われなかったところについては、次回、さらに努力をしていくのみです。私が気になるのは、発音、音色、音の立ち上がり、歌詞の意味が十分聞こえてくる歌声になっているか、発声的に汚れた音になっていないか、などです。これらは、単純にメカニカルな訓練で克服できるものではなく、特に指揮者である私が、常に感性を磨いておかなくてはならない事項ばかりです。私は録音を一通り聴いてみて、これは団員たちに感謝したい、本当によく歌ってくれたと思うことしきりですが、その思いにいつまでも浸っていてはいけないのだ、と自分を叱咤しております。

ともあれ、15回にわたる定期演奏会の中でも、個人的には特に思い出深い演奏会となりました。理由のひとつはソリストです。ソプラノの野口紀美子さんは当団の元団員、テノールの大貫浩史くんは現役団員です。そしてアルトの朴瑛実さんは、私が大学時代に入っていた「早稲田大学・日本女子大学室内合唱団」の後輩にあたります。そしてその3人の東京藝術大学での大先輩が、バスの浦野智行さんです。当団が積み上げた成果は微々たるものに違いありませんが、その中で前途有望な若手と出会い、その人の輪の中で音楽ができたというのは、掛け値なしに嬉しいことです。そしてもう一つ。「カンタータ第21番」は、私が高校生の時に初めて聴いて以来、どうしてもいつかは手がけてみたかった曲だったのです。大学3年生の時、室内合唱団の演奏会に選曲候補として出してみたのですが、難しいのと長いのが相当悪い印象を与えたのか、歯牙にもかけず葬り去られてしまいました。以来苦節18年、団員には私のわがままを聞いてもらったような形で迷惑をかけましたが、やっと念願が叶いました。「石の上にも3年」を6回繰り返し、名曲「モテット第2番」と「マニフィカト」とともに演奏できた私は、今、自分は幸せ者である、としみじみ感じております。


2006年3月21日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


このページのトップに戻る