主宰者(指揮者)ご挨拶


あけましておめでとうございます。私のようなものでもだんだんと社会的な責任が重くなる年齢になり、昨年はなかなか思うようにホームページの更新ができませんでした。今年も無理はできないと思うのですが、必ず改善したいと思っております。どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年、特に嬉しい出来事が二つありました。ともすればくじけそうになる私の心を奮い立たせてくれる出来事です。まず一つは、11月に行われた「早稲田大学・日本女子大学室内合唱団」の定期演奏会。私がこの合唱団の出身ということもあって、年に2回ある演奏会には、ほぼ欠かさず足を運んでおります。室内合唱団は、ルネサンス・バロック時代の宗教声楽曲を主なレパートリーとしております。邦人曲を歌わないという点で、大学の合唱団の中では特殊な部類に属するでしょう。ですから、高校大学に入る前から合唱にどっぷりとひたっていた人と、大学とに入ってから初めて合唱に興味を持った人とが、同じスタート地点から出発できるという利点があります。私も、大学で初めて本格的に合唱に足を踏み入れた人間です。もし周囲が手練れの技術屋集団のような雰囲気であったなら、とても付いていけなかったでしょう。室内合唱団は、誰もが不慣れなジャンルを扱う分、誰もが一から勉強していくことになります。しかしそれは同時に、毎年卒業生を送り出すとともに、技術的な面で大変厳しい状況に立ち至る可能性を常に持っているわけです。

昨年6月、2006年度のメンバーでの初演奏会が開かれました。若々しい魅力に富んだ清冽な演奏でしたが、内声部のピッチに不安を残したことと、音楽を支える土台となるバスの表現力に課題を感じたことも事実でした。ところが、11月の定期演奏会ではこれらの不安が見事に払拭されました。私がテノールだからかもしれませんが、特にテノールの上達ぶりには我を忘れて興奮してしまいました。テノールは和声の決め所を担うことが多いパートですが、自分の声に酔いしれ、歌いたいように歌ってしまえば和音はがさつな音色となり、全くハーモニーを成さなくなってしまいます。かといっていつも薄い声で逃げていたのでは音楽が死んでしまいます。このバランスを取ることは至難の業です。結局は練習の積み重ねに待つより仕方のないことで、誤魔化しようのない実力がそこに現れてしまいます。それを見事にやってのけたことに、私は一種の羨望すら感じました。さらにバスの安定した音程、女声の表現力には一段と磨きがかかり、これが6月と同じ合唱団か、と思わせるほどの堂々としたステージだったのです。

以前にも、室内合唱団のステージについて同じようなことを書いたことがあります。若い人の可能性というのは、いついかなる時代でも大きいということなのでしょう。毎年毎年人が入れ替わる中で、一から積み直しながらこつこつと練習を重ね、自分たちでも想像できなかった音楽の収穫を手にする・・・彼ら彼女らが頑張っていてくれる限り、私たちも大きな勇気を得られるような気が致します。そして、この合唱団の可能性を最大限に引き出し続けている青木洋也氏の手腕には、驚かざるを得ません。私も、見習って行かねばならないと思いを新たにしております。

さてもう一つは、昨年生誕80年を迎えたカール・リヒター(1926-1981)に関してです。この偉大な音楽家の未公開記録や、今まで入手できなかった音源などが、一挙に市場に出回り始めたのです。昨年は彼の没後25年(ああ、もう四半世紀が経ってしまったのだ!)にもあたっていたのですが、死してなお、賛否両論を孕みながら計り知れないインパクトを与え続け、新たなファンを獲得し続ける音楽家は、滅多に存在するものではありません。音楽実践において、訳もわからないままにリヒターの真似をするのは、非常に愚かな行為でしょう。しかし、彼の音楽の生命の源を探る資料が多く一般の目に触れ、彼の録音に見られる「永遠の規範性」とでもいうべき特徴が、どのようにして構築されたを考えるきっかけが増えたことは、大変好ましいことだと思います。好悪は別にして、私たちは何らかの影響を彼から受けるか、影響を受けた人たちの音楽を聴いて育っているのですから。

そんな雑感を持ちながら、私の2006年は暮れました。2007年はまず、3月24日の定期演奏会から始まります。どうぞ皆様、倍旧のご指導とご支援をお願い申し上げます。良い一年でありますように。


2007年1月1日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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