主宰者(指揮者)ご挨拶


異常なほどの暖冬が続きます。すっかり梅も咲き誇って、流氷は減少の一途をたどり、オゾン層の破壊は止まることを知らないとの報道も耳にします。いったい地球は、そしてこの国の行く末はどうなってしまうのだろうか、と考え込んでしまうこともよくあります。できることを地道にやっていくしかないのでしょうが、何とも悩み多き時代になったものです。

昨年の定期演奏会では、バッハの《わがうちに憂いは満ちぬ》というカンタータを演奏致しました。憂いや悩みに苦しみあえぐ魂が、神の呼びかけに答えて自らを鼓舞し、最後には歓喜に至るという内容です。若きバッハがこのテキストに多彩な表現を与えたことはご承知のとおりです。素晴らしい音楽を通して、人間は何かを考え、変えていくことができるかもしれません。そんなことを祈りながら、私は目前に迫った第16回定期演奏会の準備に追われています。

今年はアンドレ・カンプラの名作《レクイエム》をお届け致します。今までにも、当団は葬儀にまつわる曲を数多く取り上げてまいりました。私はこれらの作品の中に、「死はこの世の苦行から逃れ、神の御許に近づく喜ばしい出来事なのだ」という、ある執念めいたものを感じざるを得ません。なるほど人の死は、誰にとっても深い悲しみの源でありましょう。しかし、それが生きとし生けるものの避けられない運命であるならば、出来る限りそれを明るく肯定的に受け止めようとしているように思われます。飽くなき努力といいましょうか、自らの生み出した理念を自らが納得するための知恵の発露とも申せましょうか、とにかく、これらの作品には故人を偲ぶとともに、いずれ訪れる自らの死に対して「恐れることはない、私は常にあなたとともにいるのだ」という神の語りかけを得ようとする、人類の渇望が読みとれるのです。そのために、作曲者は時に静謐に、しかし時には大胆なほど熱狂的に、神に対して魂の安息を求め続けます。

カンプラの《レクイエム》も、この例に漏れない作品であると私は考えています。作風は明晰で、全体を通して合唱のホモフォニックな動きが目立ちますが、うねりを伴った表出力豊かな独唱の美しい旋律と対比されたとき、この明晰さが音楽の沈滞や退屈とは全く相容れない、計算された単純さであることがおわかりいただけるでしょう。「ラテン系の明るさ」などというお粗末なレッテルを貼ってしまうことの危険を、特に演奏する側は心しなくてはならないと思うのです。練習を積み重ねるたびに新たな発見がありますし、それを本番では聴いてくださる皆様に伝えたい。見かけに騙されない、滋味豊かな音楽を創造したいと思う今日この頃です。

重要な役割を担う独唱陣は、カウンターテノールに上杉清仁氏。私たちも受講の栄に浴した、2002年の「ウィリアム・クリスティー公開レッスン」でフランス語の歌曲を歌い、同氏に絶賛された気鋭の若手です。現在バッハ・コレギウム・ジャパンなどで活躍されるとともに、バーゼルにて研鑽を積んでいらっしゃいます。バリトンの根岸一郎氏は、花井哲朗さん主宰のヴォーカル・アンサンブル・カペラで大活躍。フランス語の造詣が大変に深く、柔らかい発音と発声で常に私たちを魅了します。お二方とも当団には初の客演で、私自身も大変に楽しみにしております。そしてテノールはお馴染みの当団員、大貫浩史です。彼は東京混声合唱団で活躍中のプロ合唱団員ですが、「何でもそつなくこなす」だけではない、常にパッションあふれた歌唱を繰り広げてくれます。長い共演を通して、私たちの信頼は絶大なものとなっています。また本日はご紹介できないのが残念ですが、器楽陣にも素晴らしい客演が揃いました。どうぞ皆様ご期待ください。

では、3月24日に武蔵野市民文化会館で皆様にお会いできるのを、団員一同楽しみにしております。


2007年2月11日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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