主宰者(指揮者)ご挨拶


すっかり秋の気配が濃くなりました。前回のご挨拶から2ヶ月が経ち、後期の練習も予定どおり始まりました。これから来年3月の定期演奏会に向けて、音楽に慣れるという段階から、本格的な音楽の「創造」へと練習を切り替えて行かなくてはなりません。このところ年に2回の演奏会を持つことが多かった私たちですが、今年度は久しぶりの定期演奏会一本勝負です。現在の練習の状況ですが、ラッスス《聖ペテロの涙》については歌詞の発音とフレーズ感の修得を軸に、ヘンデル《主は言われた》はデュナーミクと細かな音程の確認を中心に行っております。《聖ペテロの涙》は、当団が滅多に取り上げないイタリア語の歌詞を持っています。正直を申し上げますと、音楽監督たる私が、イタリア語に関しては全くの初心者であります。イタリア語の曲を多く歌ったことのある団員たちや、イタリア・パルマの宮廷音楽を専門に研究している丹羽誠志郎くん(現在休団中。今回《聖ペテロの涙》を歌えないのをとても残念がっていました)の力を借りながら、日々努力を重ねているのが現状です。このところの生活は勉強三昧で、大学浪人していた25年前に戻ったような錯覚を起こしてしまいます。しかしそうした生活が大変に懐かしく、また楽しく感じられるのは、やはり年齢を重ねた証拠でしょうか。

団員に甘えてはいけないことは重々承知しているつもりですが、外部から専門の指揮者を招かず、自主運営の原則を守ってきた当団にとって、団員が音楽作りに積極的に関わってくれる場面があるのは大変に嬉しいことです。他に職業を持ちながら音楽が好きで集まっている者の集合体ですから、一人一人のモチベーションは高いにしても、短期間でさっと仕上げて演奏会に持ち込む、という行き方は取れません。皆が少しずつ力を出し合って、長い時間をかけて熟成していくしかないのです。創設から20年近く経った現在、メンバーの社会的責任も重くなり、週に1回の練習に顔を出すことも難しい状況となっております。それでも年間の練習ペースを絶対に落とさず、崩さずにここまでやってきたのは、練習では必ず何らかの課題が見つけ出され、それを解決するために全員が努力する意識があったからだと思います。身内を褒めるのはいかがなものか、といつも思いますが、この合唱団はやはり団員に恵まれているのだと強調せざるを得ません。

今回は《聖ペテロの涙》全曲演奏、という野心的なプログラムがあるために、《主は言われた》について、あまりこのページで触れる機会がありませんでした。11年ぶりの再演となるこの曲は、若きヘンデルの傑作中の傑作です。8つの楽章からなり、演奏時間は約35分ほどの曲ですが、そのうち6曲が大規模な合唱曲で、純粋なソロ・アリアは2曲しかありません。バッハのカンタータは、その優れた内容にもかかわらず「合唱の出番が少ない」ということが大変なネックになるのですが、ヘンデルは時に極端な合唱への偏愛を見せます。《メサイア》や《エジプトのイスラエル人》がその代表ですが、《主は言われた》も「合唱協奏曲」とでも形容すべき内容を持っており、バロック期の宗教作品を愛する合唱人が歌ってみたい曲の代表的存在とも申せましょう。特に終曲のフーガは同音反復を特徴とする実に器楽的な音楽で、私は11年前に「大変俗な言い方で申し訳ないのだが、最後を飾るこのフーガを言い表すには『格好いい!』の一言で十分であろう」と書きました。その感じ方は、現在でも全く変わっておりません。今回はさらに11年の年輪を重ねた合唱の円熟味を出しながらも、このフーガの「格好良さ」を最大限に引き出せるように練習したいと考えています。

私がこの曲に初めて出会ったのは、1989年に初来日を果たしたジョン・エリオット・ガーディナー指揮、モンテヴェルディ合唱団による演奏でした。ひょんなことからチケットを手に入れて聴きに行ったのですが、会場はサントリーの大ホールで、編成に比べて器が大きすぎるのではないかと心配しながら開演を待っておりました。ところが、最初に演奏されたパーセルの《メアリ女王のための葬送アンセム》の冒頭、有名な管楽器の重奏が鳴り始めたところで心臓が止まるほどの衝撃を受けました。この大きな会場に、たった5人の奏でる音楽が、一分の狂いもなく、あまりにも純正なピッチで朗々と響き渡ったのです。そのあとに登場したモンテヴェルディ合唱団のピッチ、イントネーション、表現における究極の的確さには、完全に圧倒されました。パーセルに続いて《主は言われた》とバッハの《マニフィカト》が演奏されたのですが、この時の印象、機動力に溢れて疾走する合唱が、私の《主は言われた》の基本的なイメージとなりました。あれからもう20年も経つというのに、その夜の感動は今でも鮮烈に脳裏に焼き付いて離れません。当団はアマチュアですから、実践上のアプローチは、とてもモンテヴェルディ合唱団と同じというわけにはまいりません。しかし、11年前に当団が初演した時にも増して「機動力に溢れて疾走する」(それは決して単にテンポを速くするという意味ではありません)ヘンデル像を築き上げたいと思っております。


2008年9月28日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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