主宰者(指揮者)ご挨拶


第18回定期演奏会は、私たちにとっても特別な意味を持つ演奏会となりました。これほど思い出深い、一生の間忘れがたい瞬間を共有できたというのは、まさに稀有な出来事と申せましょう。当日ご来場いただき、長時間にわたって私たちの音楽創造にお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。

第1ステージのラッスス「聖ペテロの涙」演奏に先立ち、私は聴衆の皆様に「21曲も同じような声楽ポリフォニーが続くので、歌詞の意味がわからないと、演奏する側にも、聴く側にも厳しい現実がある。プログラムの歌詞対訳に是非目を通しながらお聴きいただきたい」とお願いを致しました。多くの方が歌詞を目で追いながら聴いてくださったようで、客席の真剣さが舞台上にひしひしと伝わってくる様子が、歌う団員の表情を通して如実にわかりました。もちろん、私自身もそうした緊張感が波のように押し寄せていたのを背中で感じることができました。こうした客席のオーラを感じて、団員の集中力は極限まで保たれたようです。長丁場をア・カペラで通すときに最も危険なことは、緊張感の緩みとともに音程が下がり音楽に締まりがなくなっていくことです。逆に、本番の雰囲気に飲まれてしまうと音程は上昇を続け、音楽全体がヒステリックなイメージになります。ところが、今回は聴衆の皆様のお力で、音程に目立った揺れがなく、決めるべきハーモニーが狙い通りに続けざまにはまっていきました。これには、団員たちも自分でびっくりしていたようです。気持ちが乗ってくると、今まで練習で何度も苦労していたところが、嘘のように自然に表現できていきます。指揮者の方も、団員を全面的に信頼して、いわゆる「のった」状態で全曲を振ることができました。おそらく、録音を聴いてみれば細かい難点はたくさん出てくるのでしょうが、今回ほど舞台と客席がひとつになった演奏はありません。

第2ステージのヘンデル「主は言われた」までの間に20分の休憩がありましたが、私はこの20分の間に気持ちと心構えを全く新たに立て直さなくてはならず、いつもの演奏会とは全く違った休憩時間を過ごしました。おそらく、聴いてくださった皆様も、1時間強の音楽との格闘による疲労を回復させるだけで精一杯だったのではないかと推察致します。「主は言われた」は客演の皆様の強力で的確なバックアップにより、自信を持って本番に臨むことができました。コンサートマスターの桐山様、通奏低音の方々をはじめとして、皆様が私の至らないところをカバーし、団員の潜在能力を引き出してくださいました。普段の練習では、やむを得ないことながら、器楽が実際にどのように鳴り響くかは団員の想像力に任されるよりありません。それに明確な統一的イメージを与え、あっという間に合唱をリードしながら器楽としての自己主張を行い、さらに表現上の提案を種々してくださるわけです。さすがプロ、としか申し上げられませんが、このような素晴らしい皆様といつもご一緒していただけることは、当団にとって最高の幸せのひとつであります。また、いつもながら楽器提供の石井様には、調律をはじめとして様々なお世話になりました。厚く御礼申し上げます。

自画自賛は厳に慎まねばなりませんが、お客様からの好意的な反応が大変に多いのも、今回の演奏会の特徴です。特に嬉しかったのは、「いつもは綺麗にまとまりすぎているが、今回は何が起こるかわからない、ライブの醍醐味を十分に感じることができた」というご意見があったことです。私たちの演奏の恒常的な反省点が、少しでも改善できたのであれば本当に大きな喜びです。会場でいただいた44通のアンケートのほかに、メールで私や団員宛にご感想をお寄せいただく方もたくさんいらっしゃって、励みになっております。今年はヘンデルイヤーではありますが、馴染みのないラッススの大曲と合わせたこの演奏会に、271名もの皆様をお迎えできたことも、大いなる喜びです。この一年間、練習では様々な問題が次々と襲いかかり、個人的には本当に危機的状況に陥ったこともあったのですが、そうした苦労がすべて報われたような気が致します。これまでの厳しい練習に耐えた団員にも、大きな感謝を捧げたいと思います。

さて、2009年度の活動計画についてはこれから詳細が決まりますが、次回定期演奏会が2010年3月7日、バッハの偉大な「ミサ曲ロ短調」に決定したことだけはここでお伝えしておきましょう。長年の懸案に、ついに覚悟を決めて取り組むわけです。皆様の、倍旧のご支援とご指導をお願い申し上げます。


2009年4月1日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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