第19回定期演奏会、ヨハン・セバスティアン・バッハ作曲の《ミサ曲ロ短調》の公演まであと1ヶ月を切りました。これから胸突き八丁の練習が続きます。来週からは、いよいよオーケストラ・ソリストも交えてのリハーサルが始まります。何度もここで申し述べてきたことですが、このあたりが私としては一番辛い時期で、胃が痛くなり、悪夢にうなされることもたびたびです。それほど、リハーサルというのは緊張が絶え間なく続きます。客演の方々は的確に問題点を指摘したり、具体的な提案をしてくださったりするのですが、勝手に指揮者が緊張してしまうものですから、いつもご迷惑の掛けどおしです。
どのような指揮者も、本番前のリハーサルは大変なプレッシャーと戦うのだそうです。それは、リハーサルで自分の実力のすべてが出てしまうからです。どのくらいスコアを読み込んだか、耳の善し悪しはどうか、指示は的確にわかりやすく出せるか、そして自分の思い描いた音楽と演奏者をどのように橋渡しするのか(=どう振るのか)。あらゆることが明るみに出てしまい、誤魔化そうにも誤魔化しようのない過酷な世界、それがリハーサルなのです。若い頃、指揮者向けにこうした注意(というより脅しに近いと思うのですが)を延々と書いた書物を読んで、私は震え上がってしまったものです。
それでも、初めて人前で指揮棒を振ってから、「石の上にも3年」を9回も繰り返す歳月が流れてしまいました。面の皮だけは相当厚くなってきてしまったようです。特に今年は、「曲も大きく難度も高い。客演・ソリストは専門家、何をどうあがいても仕方がない」と一種の開き直りに近い心境になってしまっていて、昔の自分とのギャップを自分で楽しんでおります。アマチュアである私たちが、《ロ短調》のように偉大な相手に挑むには、結局は平常心しかないのでしょう。私たちなりの「ロ短調像」も、練習を重ねる中で大部分固まってまいりました。ここで「あと1ヶ月」と切羽詰まって焦り、スコアの細部に必要以上にこだわってしまって、「木を見て森を見ず」式の演奏になってしまってはもったいない。私としては、後は演奏者の自発的な昂揚を促すべく、自分の中にあるイメージをしっかりと外に出していこうと考えております。
個人的な感慨ですが、この1年は《ロ短調》が常に自分の身の回りにあった、とでも言うかのような環境でした。当団では5月から《ロ短調》の練習に入りましたが、私が所属していた「早稲田大学・日本女子大学室内合唱団」の50周年記念演奏会で上演する《ロ短調》の練習も4月から始まっており、私は全体を聴くことと同時に、ひとりの合唱団員としてこの難曲に対峙する機会をいただいたわけです。20年前に一回歌っているにもかかわらず、譜読みが出来ないことに愕然としました。自分の老いと、ソルフェージュ能力の欠如をいやというほど思い知らされ、よい反省の材料となりました。本番では青木洋也先生の溌剌とした指揮のもと、親子ほど年の違う現役団員と一緒に、懐かしいカザルス・ホールに満員のお客様をお迎えして力一杯歌えたことを誇りに思います。その時一緒に舞台に乗った若いOBたちが、当団の団員としても、今回出演することになっています。出身校の宣伝をするわけではないのですが、校歌にある「集まり散じて人は変われど/仰ぐは同じき理想の光」の世界を実現したいものだと思います。こんなふうにして、《ロ短調》と一緒に駆け抜けた2009年度がもうすぐ終わろうとしております。最後の締めくくりとなる定期演奏会に、皆様お誘い合わせの上是非ともご来場いただきたく、重ねてお願い申し上げます。