主宰者(指揮者)ご挨拶


前回のご挨拶を書いたのが3月8日、その三日後から、日本は既成のあらゆる価値観を根底から問い直されるような試練を受けることとなりました。被災者の皆様のご心痛はいかばかりかと想像することさえ難しい状況のまま、1ヶ月が過ぎ去りました。こうした状況の中で私たちが音楽活動を続けていくことにどのような意味があるのか、それはおそらく誰にもわからないでしょう。私たちの活動は「歌う本人の余暇活動」であると同時に、やはり「聴いてくださる皆様にご満足いただくことを目標とする芸術活動」であることを前提としているからです。ともかく、私たちは活動できることの幸せをかみしめ、いつもどおり、真摯に練習に励むことしかできません。震災後初の練習は、4月10日に行われました。その後は例年同様、週に1回のペースによる練習が続きます。私たちに与えられた時間を無駄にしないよう、いつも以上に心していかなければ、と切に思います。

今年度の活動は、来年3月に予定される第21回定期演奏会を軸に進められます。ここ数年、秋や冬に様々なコンサートへの企画や出演をして参りましたが、今のところその予定はありません。腰を据えて、じっくりと練習したいと思います。ステージ構成はこれから本格的に決めていきますが、ひとまず、昨年に引き続いてバッハのモテットを演奏することになりました。名作の誉れ高い「主に向かいて新しき歌をうたえ」BWV225と、「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229の2曲です。BWV225は2001年12月の「クリスマス・コンサート」以来11年ぶりの再演、BWV229は当団初演となります。私自身はそれこそ何度歌ったか覚えていないくらいこの2曲を演奏してきておりますが、自分で指揮するとなるとやはり相当に身の引き締まる思いがします。それはもちろん技術的な難しさを皆でどうやって克服していくか、という問題が第一なのですが、これだけバッハファン・合唱ファンによく知られた名曲を演奏するとなると、そこにどのような「中身を盛っていくか」ということについても、いつも以上に悩まざるを得ません。とはいえ、奇をてらった表現などしようと思ってもできない巌のような曲ですので、楽曲分析と歌詞の熟読を丁寧に行い、テクニカル(あるいはメカニカル)な練習が自己目的化しないように心がけていくしかないのだろう、と思います。

バッハが私たちのステージに登場するのは、これで3年(5演奏会)連続となりました。どんなに研究しても次があり、さらなる課題が見つかっていくというのは音楽に限らず人生の真理でしょうが、バッハの場合はとりわけその思いを切実に感じます。私が稀代の鍵盤音痴(ざっくばらんに言えば「下手」)だという事情はありますが、クラヴィーアやオルガンの曲を練習するときも、バッハは譜読みからして容易に人を近づけない厳しさに満ちあふれていると実感するのです。しかしその難しさが単なる技巧のひけらかしに終わらず、常に音楽の内容に直結している点が、私たちのようなアマチュアを無謀ともいえる冒険に駆り立てる要因なのでしょう。練習は苦しく、練習を積んだ後の出来映えも保証されるわけではないことをわかっていながら、今日も日本中のどこかで、音楽を生業としない人々がバッハを奏で続けている。それを「時間と労力の無駄遣い」だと、私は思いたくありません。厳しい状況に置かれてしまった日本で、それでも喜びと苦しみを味わいながら、昨日よりも少しでも前進するべく、努力を重ねていくことの意義に、私はいささかの疑問も持っておりません。

例年とは異なる重いスタートとなった2011年度ですが、どうか皆様の変わらぬご支援ご鞭撻をお願い申し上げます。


2011年4月20日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


このページのトップに戻る