主宰者(指揮者)ご挨拶


2月を迎え、第21回定期演奏会が約1ヶ月半後に迫りました。現在の練習は「歌い込み」と「細かいところに手を入れる」の両立を目指した胸突き八丁を迎えております。最大の集中力を発揮して仕上げていかねばならない時期に当たるわけで、心が引き締まる思いを新たにします。

演奏会の準備は、練習の充実だけではありません。当日の事務一切、チケットの発行、受付の確保などいろいろな仕事が私たちを待ち受けているのですが、私が最も頭を悩ませるのが、当日に配布するプログラムに掲載する、解説と歌詞対訳の作成です。私たちの扱う音楽は何といっても"early music" ですから、音楽学を少しばかり囓っただけの人間にとって、解説を書くには深淵で謎の多い世界が待ち受けています。また私が究極の語学音痴であることは周知の通りですが(自虐ではありません。どうして私は邦人曲ではなくて、外国語の合唱曲が好きなのだろう、と泣きたくなることがあります)、自分が把握していない曲を人前で振るわけにはいきませんので、できる限り自分で歌詞対訳を行うことになります。人様にお見せするレヴェルだとは自分でも思っていませんが、しかし団を束ねる者の一種の義務として、青息吐息で仕上げているというのが実情です。もちろん、自分の手に負えないものや、すでに定番訳が存在するものなどについては、躊躇なく投げ出すのですが。

今回手強かったのは、予想どおり「シビラの預言」でした。ラテン語がまるでダメな私にとって、厳格な韻律に従った「シビラ」の歌詞は悪夢のような存在でした。幸い「新ラッスス全集」に独語訳が掲載されており、各種CDのブックレットには英訳や独訳がいくつか載っていますので、それを参照しながら辞書と首っ引きで訳してみたのですが、どうにも自信の持てない部分が残ってしまっています。そうは言っても「シビラ」には「ミサ通常文」のような定番訳があるわけでもないので、やはり勉強を兼ねて「自分でやるしかない!」と己を奮い立たせるしかありません。誤訳に関するお叱りは逃げずに受け止めよう、と心を決めて印刷に回すのですが、その時の心境たるや、舞台上で指揮をするときにも劣らぬプレッシャーを禁じ得ません。どうか皆様には当日会場でパンフレットをご覧になっていただき、ご教示いただけるところがあれば是非忌憚なくお知らせいただきたい、というのが偽らざる本音です。

また「シビラの預言」の成立事情や音楽史上の意義付けと特徴なども、結局のところは、わからないことだらけです。いろいろな資料を当たり、「新ラッスス全集」当該巻の解説を読んだりしてみましたが、成立年代、使用目的はすべて憶測の域を出ないことばかりです。私が頭を悩ませた歌詞そのものからして、その正体は闇に隠されています。その中で研究者はわずかな可能性を探り、様々な示唆を私たちに与えてくれています。それをどう消化するか、私の乏しい能力には荷の重い仕事ではあろうかと思いますが、当日の演奏と解説とに反映させていくつもりです。

団員も多忙な中、細かい事務作業や私が見落としている重要事項、果ては私の犯した単純ミスまでフォローしてくれています。演奏会が近づくにつれて狂い出す私の歯車を、団員が必死に支えてくれているのです。昨年から新たに迎えた仲間たちも、この合唱団のトーンに馴染もうと一際の努力を続けてくれています。毎度のことですが、ありがたいことだと痛感致します。ゴールまでもう少し、この得難い仲間たちとともに頑張ろうと思います。

一点、来年度のことについてお知らせしておきます。私たちの定期演奏会は例年2月または3月に武蔵野市民文化会館小ホールで行うのを恒例としてまいりましたが、残念ながら来年度はこの期間に武蔵野市民文化会館の予約が取れませんでした。会場を変えるか時期を変えるか、これから検討してまいりますが、まずは速報としてお知らせ申し上げます。


2012年2月6日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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