年々校務が激しさを増し、今年は夏の間当団の指導をお休みさせていただいた私ですが、昨日の練習から復帰致しました。団員とは久々の顔合わせとなりましたが、夏の間も自主練習を続けていてくれたおかげでしょう、基本的な譜読みの確実さは想像以上のものがあり、ひとまずほっとしております。昨日はパレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」を全曲通して練習してみましたが、彼特有の柔らかく美しい音の運用と和声連結がある程度聞こえてきたのは大変嬉しく、手応えを感じております。これから先、さらに私も勉強して団員の期待に応えたいと思います。
パレストリーナの作曲法が「対位法の手本」とされているのは言わずもがなですが、特にこの「ミサ・ブレヴィス」においてはそれが極限まで追究され、「対位法の教科書」とみなすべきレベルに達していることには、感嘆を通り越して戦慄すら覚える瞬間があります。すべての不協和音は繋留によって予備され、バス・ラインはほぼ機能和声の根音を形作り(第1転回形=6の和音が効果的に用いられる部分もあります)、旋律はあくまでもゆったりとしたアーチを描き、歌唱的です。こうした「完璧さ」は、このところ私たちが集中して取り上げてきたオルランドゥス・ラッススの世界とは異なるものです。バッハも確かに「完璧」でしょうが、彼の芸術は時として対位法が外部表出的な効果を持つところまで高められているのが特徴で、パレストリーナの音楽に寄せる感嘆は、私にとってはどちらかというとモーツァルトの音楽に対するそれと同じものです。こうした「古典的均整」に挑むためには、合唱団としての技術の錬磨と知的なアプローチが欠かせません。「うまい歌い手」だけで構成されるアンサンブルに比べて、多人数のアマチュアによる演奏はパレストリーナの場合不利と言えましょう。合唱での演奏は、たとえ「うまい歌い手」が一人いても、その人に周りが追随していくだけでは、到底太刀打ちできません。むしろ個々の力は及ばずとも、団員全員が謙虚に練習を積み、スコア全体を見渡して作曲者の描いた対位法の糸を自分なりに解きほぐして行くことができた時、合唱での演奏は輝きを放つのでしょう。私の責務は、そのお手伝いをしっかりと果たすことだと思います。
究極的には、「各パート2人のアンサンブル」から「各パート5人の小合唱」、そして「各パート10名弱の合唱」までの歌い方を、その場の条件に応じてフレキシブルに変えていくことのできる力が求められるのです。団員にとっては大変な負担でしょうが、譜読みに苦労が少ない分、そこまでやらなければ意味がないとも言えるわけです。団員にはフラストレーションの溜まる練習を押しつけてしまうことになるのかもしれませんが、そこは妥協せずに、最後まで理想を追求していきたいと思います。初めてお世話になる三鷹市芸術文化センター・風のホールで、私たちの挑戦がどこまで実を結び、豊かな響きをもたらすことができるのでしょうか。茨の道ではありますが、その成果を楽しみにして日々練習に励もうと、決意を新たにしております。
2012年9月30日
スコラ・カントールム代表
野中 裕