主宰者(指揮者)ご挨拶


まだまだ先のことだと思っていた《マタイ受難曲》の演奏会が、7ヶ月半後には現実のものとなります。半年以上もあるではないかと言ってしまえばそれまでですが、練習を積み重ねるたびに、新たな問題点が発見されるのには本当に悩みます。合唱にとっては、譜読みの難しさは《ミサ曲ロ短調》に比べればまだハードルは高くないのですが、音程や声質を「受難曲向けに」しっかり揃え、和声を作り上げるのは至難の業です。ひととおり譜読みが終わった段階となっても、まだまだ鳴るべき音がしっかり鳴るまでには至っていない、というのが現実です。3時間以上続く受難物語の中で合唱の果たす役割は限りなく大きく、時には群衆のヒートアップする怒号を、時には数々の美しいコラールをそこに集うものの代表として表現しなければなりません。理想を高く持てば持つほどそこに至るまでの道のりの遠さに思わずくじけそうになるのですが、団員たちの頑張りに助けられて、毎週の練習に臨んでおります。

この合唱団が作られた経緯については以前に別稿(「私とスコラ・カントールム(1)」「私とスコラ・カントールム(2)」)にまとめたことがありますので再説を避けますが、その大きな目的に「誰もが自由に意見の言える合唱団にしたい」ということがありました。私が非力を顧みず合唱団の主宰者を務めているのは、「アマチュアの自主運営であること」へのこだわりを持ち、プロの指揮者を音楽上の絶対的存在として置かないことから得られる主体性を大切にしたいと思ったからです。団員が増えた現在では、私がどうしても「指揮者」として振る舞うことが多くなっており、それはそれで仕方のないことだとは感じていました。

しかし《マタイ受難曲》という巨大な世界を構築するためには、指揮者やソリスト以上に、合唱団員が当事者意識を持ち、「どんな演奏にしたいのか」を考え、アイデアを出し合い、問題点を指摘し合う姿勢が必要となります。指揮者の解釈に従うだけではなく、自分で「こうする方が良いのではないか」「指揮者がそう考えるのなら、現在の合唱団はこうした点が到達すべきレベルに至っていないのではないか」というような意見が、団員一人一人から出てきておかしくない、いや、出てくるべきなのだと思います。その際、自分と違う考え方を受け入れる度量を持つとともに、他人の考えや歌唱の技量を批判するだけで終わってはならない、という大人の対応が必要になってきます。

いつも「自分の合唱団の団員を誉めるのはルール違反かもしれませんが」という前置き付きで書いているのですが、やはり当団は意識の高い団員に恵まれていると思います。古株の団員はもちろん、この4月以降に《マタイ受難曲》を目指して新たに加わった仲間も、積極的に意見を出し、お互いの批評の輪の中に入ってくれています。先日、少人数の練習を行ったときに「せっかくだから」ということで音程や発声の細かい点にこだわって歌ってみたのですが、これも団員からの提案によるものでした。指揮者の至らない点を、団員が「よってたかってカヴァーしてくれている」というのが正直なところでしょうか。それに甘えてはいけないのは十分わかってはいますが、嬉しい事実であることに変わりはありません。

練習の中で、あるパートの声質を揃えるため円形に団員を並べ、その中に入って一緒に歌ってみたことがありました。私が歌ったところで実際は邪魔でしかないのでしょうが、「自分ならこう歌うだろう」と考えながら、合唱団の一員として歌ってみることは、自分にとって大きな勉強になりました。多分に感傷的な話ですが、この合唱団の第1回目の演奏会のオンステ人数はわずかに13人、私は歌いながら指揮をしていたのです。その時の感覚を思い出しながら、当時夢のような話だった「バッハのマタイに挑戦する」という目標がこんなに近づいていることを感じ、時の流れの速さが身にしみるとともに、支えてくださる多くの方に恵まれた自分を幸せに思います。


2013年11月26日
スコラ・カントールム代表
野中  裕


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