気がつけば3月となりました。年齢のせいか、仕事に追いまくられるとなかなかホームページの更新にまで力が回りません。今回も大変なご無沙汰となったことをお詫び申し上げます。新しい試みである「マタイ受難曲・プレコンサート」も構想が整い、チラシの配布、オルガンの手配も順調に進みました。ソリストの選抜・分担も終わり、あとは4月26日に向けて練習を充実させて行くだけです。いつものことではありますが、こうした企画の立案実行に当たって献身的に動いてくれる団員のひとりひとりに、心から感謝の念を捧げずにはいられません。
プレ・コンサートでは、その性格上さまざまな実験を行うつもりでおります。まず合唱の配置ですが、よく行われている「二重合唱型」は採らないつもりです。当日は、かなり大胆な並びになるかもしれません。理由は単純で、オルガン1台の伴奏では合奏体が二つ置かれていることの効果は全く得られないからです。そもそも「マタイ受難曲」の二重合唱の機能の仕方はかなり異例で、片方の合奏体だけが稼働する部分や、せっかく二重合唱で始まりながらも、すぐに4声にまとまってしまう曲がほとんどなのです。この曲が二重合奏体を必要とするのは、ピカンダーの台本にある「信じる魂」「シオンの娘」という二つの性格特性を割り当てるため(もちろん他にも理由はたくさんあったでしょう)ですが、バッハ自身が二重合唱の扱いに試行錯誤していたことは疑いありません。この曲の通奏低音が、初稿段階では一つしかなかったという事実がそれを裏付けています。従って、聖トーマス教会のような空間が与えられない限り、無理をして二つの合奏体を分離してみてもその効果は薄いと言えます。それよりも、会場と演奏形態の条件に応じて、群衆合唱とコラールにおいて合唱が最大限にその機能を発揮する配置を工夫することのほうが、おそらく理にかなっていると思うのです。この件については、当日まで試行錯誤を繰り返しながら決めていくことになりましょう。こうした経緯も当日のプログラム・ノートに掲載し、アンケートの形で皆様のご意見を頂戴する予定ですので、どうか御協力くださいますようお願い申し上げます。その結果によっては、7月の本番でも、大胆かつ効果的な合唱団配置を考えるつもりです。
また、ソリストは可能な限り多くの団員に割り当てました。バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明音楽監督がいつも強調していらっしゃることですが、バッハは決してオペラのような「配役」は意図していない。そうしたオペラ的な効果を排斥することによって、バッハはあくまでも「受難曲」を書いたのだ、と。バッハ時代の演奏では、福音史家さえテノールTのパートを全部歌ったのです。つまり、両方の合唱体からソリストを各パート一人ずつ、合計8人出すことが好ましいと言えましょう。しかし、われわれのようなアマチュア合唱団の団員にそのような負担を求めることは不可能であり、7月の本番では福音史家・イエスに加えて4人、合計6人の客演をお願いします。「バッハがそうしたのだからそれ以外の方法は認めない」という硬直した考え方では、おそらく「マタイ受難曲」はほとんど演奏不可能な曲となってしまうでしょう(バッハ・コレギウム・ジャパンも、福音史家が合唱も歌うことは放棄しています。当然の措置だと思います)。こうしたことから、今回は「団員の勉強の場」であることも鑑みて、ほぼ「配役」形式の布陣を組みました。ただし、大祭司とピラトは同一の団員が歌います。これは、純粋に声質に関する私の趣味から行った措置です。
ソリストを務める者は皆(特にイエス、ピラト、ユダ、ペテロ、といった登場人物を歌う団員は)、全曲の中での自分の役割に対する十分な理解を持って演奏会に臨む覚悟が求められます。それを合唱がどのように支え、相乗効果を生み出していくか。7月の本番に向けて、私はもちろん団員全員にとってまたとない学びの機会になろうと思います。どうぞ皆様、4月26日は神田キリスト教会に足をお運びいただき、是非とも忌憚のないご批判を賜りますようお願い申し上げます。
2014年3月7日
スコラ・カントールム代表
野中 裕