主宰者(指揮者)ご挨拶


まだまだ先のことだと思っていた、第23回定期演奏会「J.S.バッハ/マタイ受難曲」まで、あと3週間となりました。ついこの間「プレ・コンサート」が終わって、少しほっとしたのが嘘のようです。これから私にとって一番辛く厳しい、リハーサルの期間に入ります。リハーサル期間の「胃が痛むような日々」は、初めて人前で指揮をした高校1年生の時から数えて32年経つ今でも、全く変わることがありません。加えて今回は「マタイ受難曲」です。緊張するなという方が無理というものです。

バッハの大曲を取り上げる、という点では、第19回定期演奏会の「ミサ曲ロ短調」も同じでした。細かいメリスマが合唱と楽器とでどうしても合わず、途方に暮れたのを今でも鮮烈に思い出すことができます。「ロ短調」は純粋客観的な信仰宣言であり、音楽的には声楽曲見本帳といった趣が強い曲です。その技術的難度はとても言葉では言い表せないほどで、私の緊張はその克服にほぼ尽きていたといっても過言ではありません。「マタイ」は一曲一曲の規模が「ロ短調」に比べて小さく、メカニカルな難度も「ロ短調」ほどではありません。しかし「マタイ」は「受難」であり、何よりもまず「物語」なのです。これが、「ロ短調」と決定的に違うところです。

「マタイ」は物語であるがゆえに、歌い手の感情移入は比較的容易です。自分がドイツ語で何を歌っているのかをつかみさえすれば、自然のうちに音楽に乗って行くことができます。しかしそれは必要以上に「劇場型受難曲」への傾斜を濃くする危険性を常に孕んでいます。私の経験から言うと、歌い手にとって一番適切なテンポをとると、聴衆のほうでは速く聞こえるのです。「マタイ」は68曲もの小曲の集合体ですから、テンポの設定をおろそかにすると、ただ単に受難物語が流れていっただけで、聴衆には何も 残らないという結果を招きます。かといって、遅めのテンポで感情を込めて演奏するだけでは音楽が停滞し、聴く側はその独善性についていけなくなります。全体の構築性とテンポ設定は大きく関わっており、それは特に「ロ短調」にはない「レチタティーヴォ」、つまり「聖句部分」の扱いに集約されるように思います。

私が「プレ・コンサート」において、無謀を承知で福音史家と指揮を兼ね、聖句部分を一切省略せずに演奏したのも、このある意味怖ろしい存在である「聖句レチタティーヴォ」を、合唱団とともにしっかりと把握したかったからです。私の福音史家としての歌唱はお粗末極まるものだったかもしれませんが、「聖句レチタティーヴォをつかむ」という意味では、狙い通りかけがえのない貴重な機会となりました。この経験を、残された練習でいかに合唱団に還元するか。そして福音史家・イエス・その他ソロの皆様とどこまで詰めた形で本番を迎えることができるか。今回、緊張は今までの比ではありませんが、その分私の指揮者としての密かな楽しみもまた、大きいのです。

幸いなことに、公演3週間前にして500枚のチケットがほぼ完売状態になりました。こんなことは合唱団スコラ・カントールムの歴史で初めてです。今からチケットをお求めになりたいと思われた方に大変なご迷惑をお掛けすることを、心からお詫び申し上げます。残券情報・当日券情報については、より正確な情報が確定次第このホームページにアップしてまいります。そして皆様からいただいたこの期待に違わぬ演奏をすべく、残された3週間を悔いのないように駆け抜けて参りたいと思います。

(追記=お詫び)今回ご出演いただくコントラバスの永田由貴さんの表記が、諸所で長らく「由紀」となっておりました。ご本人はじめ皆様に、心よりお詫び申し上げます。


2014年6月14日
スコラ・カントールム代表
野中  裕

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