主宰者(指揮者)ご挨拶


2016年が始まって、早くも3ヶ月が過ぎました。盛りだくさんな演奏機会を抱えて、例年よりも練習にかける時間を長く取らなければなりません。多忙な中大きな負担を強いる団員には申し訳ないことだと思いながらも、音楽の精度を一層上げるために頑張っております。

今回の新たな挑戦がブスト、プーランク、デュリュフレといった20世紀の作曲家へのアプローチであることは論を俟ちませんが、フランドル楽派のモテトゥスを取り上げるステージにも新たな展開を試みました。その一つは、ヨハンネス・オケゲムの作品を初めて手がけることです。当団のレパートリーとして最も古いものは、ギヨーム・デュファイの「アヴェ・レジナ・チェロールム」ですが、デュファイ(1400年頃誕生?)のすぐ後の後輩格にあたるのが、このオケゲム(1410年頃誕生?)です。ジョスカン・デ・プレは最近の研究によると1450年頃の生まれとされているので、オケゲムはデュファイとほぼ同世代、かつジョスカンの師匠にあたる人物だということができます。実際、1497年にオケゲムが亡くなったとき、ジョスカンは「オケゲムの死を悼む挽歌」を作曲し、この偉大な先輩の死を惜しんでおります。

ジョスカン世代およびそれ以前のポリフォニー宗教曲(実質は世俗曲でも同じですが)を、私たちのようなアマチュア合唱団が演奏することには、実は大変な困難がつきまといます。ひとつは、当然ながら技巧的な問題です。アンサンブルの規模による聖歌隊による、典礼での実用音楽として書かれたこれらの曲は、30名を超えるアマチュアが必死にソルフェージュをして歌うのにふさわしい曲ではありません。アンサンブル能力に恵まれた極上の歌手が、ビブラートを廃し、職人芸的に音程を微妙に調整し、完璧に純正な和声を形成して初めてその魅力が十二分に伝わるという至難の音楽なのです。しかしその中にも、私たちが何とか取り組むことができる曲はいくつかあります。そうした曲では、複雑すぎるリズムや、美しく鳴らすことが難しい配置の和声が注意深く取り除かれています。それゆえに、それらが同時に人口に膾炙した名曲であることも多いのです。私たちが何度も演奏してきたジョスカンの「アヴェ・マリア」やミサ「パンジェ・リングァ」はその代表と申せましょう。

こうして「何とか食いついていける曲」を探し得ても、もうひとつの難関が立ちはだかります。それは音域の問題です。少年および成年男子で構成された聖歌隊では、スーペリウス(現在のソプラノ)が低すぎる上に、アルトとテノールにあたるパートが接近しすぎており、現代の混声四部合唱で歌うには不適切なものが多いのです。上に掲げた2曲にしても事情は同じで、そのために私たちは相当な練習を重ねる必要が出てくるわけですが、練習だけでは解決できないことが明らかであるために、歌うことを諦める曲も多数あります。

さて今回演奏するオケゲムの「アルマ・レデンプトーリス・マーテル」ですが、これは私たちにとって涙が出るほど「ありがたい」存在です。14世紀末に流行を見たあまりにも複雑なリズムの競合や、歌うこと自体が極端に難しいフレーズは一切ありません。加えて音域も「程よく離れ」ておりまして、現在の記譜法で言う「変ロ長調(♭2つ)」の記譜で移高すると、混声4部として案外良い音域に落ち着いてしまうのです。かつ、そのうねるような旋律進行と最後を締めくくる3拍子部分が絶妙のバランスで組み合わされており、歌う者はもちろん、聴く者も思わず陶酔の境地に誘われるはず、なのです。

世の中というのはうまく出来ているもので、こうした「どこが難所かよくわからない」曲というのは、言い換えれば「すべてが難所」であるわけです。どこかひとつでも違和感のあるフレーズの歌い方や、ぴったりと合わない和声をつくってしまうと、とたんにそれが「音楽全体の締まりの無さ(最近の表現で言えば『ユルさ』とでもなるのでしょうか)に直結してしまいます。これから何度も歌い込み、音楽そのものを「体の中に入れてしまう」ことによって、そのあたりの危険を克服して参りたいと思います。残された4ヶ月、悔いのないように努力を積み重ねる所存です。7月10日には、皆様お誘い合わせの上川口リリア音楽ホールにお出でくださいますよう、心からお願い申し上げます。


2016年3月7日
スコラ・カントールム代表
野中  裕

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