音楽界をはじめとする芸能界で、昼でも夜でも最初の挨拶が「おはようございます」になったのは一体いつからなのでしょう。私は芸能界にそれほど詳しくないので、これ以外にもたくさんの業界用語があることは知ってはいますが、その具体的な内容は知りません(単語をひっくり返すパターンは、最近の「まいうー」などでもお馴染みですが)。
こうした一部だけの集団内で通じる言葉は、結局のところギルド的発想を引きずっているのだと思います。他の人には通じない言葉をこっそりと用いることで、その集団の特異性を確認し、差異化を図るわけです。そしてそこには意識するとしないとにかかわらず、何らかの優越感が感じ取られるのが普通です。以前新聞で読んだ話ですが、ある落語の大師匠が「楽屋裏の話を表に出すなんぞは下司も極まりないですね」「隠語で話すのが似合うようになるには修行が必要です。素人さんが知ったかぶりをして、われわれと一緒に隠語で話しているのを聞くと、いたたまれなくなりますな。」というような意味合いのことを書いていらっしゃいました。私は、これは芸道と深く関わる、まことに奥の深い話であると思います。素人には予想もつかない、長くて厳しい修業時代の苦しみや、そこで学んだ芸道における機微のようなものを体得(文字通り、理屈ではなく、体でつかんだという意味です)していなければ、隠語の味わい、面白みなどわかるはずはないのでしょう。
さて冒頭の「おはようございます」ですが、これは私たちアマチュアが使用してよい言葉なのでしょうか。少なくとも、私は団内で使用したことはありませんし、団員が夕方の練習で「おはようございます」と挨拶しているのを聞いたこともありません。しかし、共演するプロの方にそう挨拶されれば「おはようございます」と返しますし、団員も何となく使い分けているようです。そしてプロの方が、私たちが「おはようございます」を使用したことについて、抗議をしたりいやがったりするのを見たこともないのです。いわば、グレーゾーンにある言葉なのでしょう。別の合唱団では、本番の日は団員同士でも 「おはようございます」と言っているようです。しかし私はそうした例をたくさん集めてきて分析する暇も余裕も持ち合わせていません。要はその場のノリ、ということにしておきましょう。
木村拓哉を「キムタク」と称した時期から、人の名前など、ふたつの単位からなる連語を冒頭の二文字だけ組み合わせる略称が大流行しました。J−POP(私はこの言葉には違和感を覚えるのですが、「ニューミュージック」世代のひがみでしょうか?)の世界では「ミス・チル」「ドリ・カム」「イエ・モン」など、略称の方が定着している例は枚挙にいとまがありません。合唱界にも、こうした略称は数々存在します。そしてそれを使って会話することが一種の「差異化」の一要素となっているようです。「モツ・レク」「ヴェル・レク」「フォー・レク」はもちろん「モーツァルトの」「ヴェルディの」「フォーレの」レクイエムのことですし、「クリ・オラ」はバッハの「クリスマス・オラトリオ」、「ミサ・ソレ」はベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」です。しかし、ビクトリアのレクイエムを「ビク・レク」とは誰も言わないでしょう。認知度の差なのか、語呂が悪いのか、喜んでいいのか悲しむべきなのか。私にはよくわかりません。
最後にひとつ問題です。私たちが前回とりあげたメンデルスゾーンのモテットで、一部合唱マニアにのみ、「荒城の月」という愛称で親しまれている曲は何でしょう?
(2002年6月1日)