中西景子〔アルト〕


(この記事は、1999年11月に「スコラ・カントールムで歌う私」と題して掲載されたものの再録です。
インタビュアー:丹羽誠志郎)  

−−−中西さんは広島のエリザベト音大出身だそうですが、どういうきっかけで音大へ進まれたのですか?

幼稚園のころからピアノを習っていました。特別に熱心だったわけでもないのですけど、高校生になるまで続けていました。そうしたら、モノの勢いといいますか、ピアノの先生がもう音大へ進むと思い込んでいて……そのときの先生がエリザベト音大出身だったこともあり、そちらを目指すことになりました。ピアノ科へ入りたかったのですけど、どうもそちらは無理そうだったんですね。最終的に宗教音楽学科の方で合格しました。とはいっても、それまで宗教音楽については何も知らない状態だったんですけど。

−−−音大といえば、楽理系の学科でも副科としてパフォーマンスもありますよね。

はい。ピアノは全員必修で、あと好みに応じて好きなコースを選ぶことができました。私は声楽とサクソフォンを習いました。ちゃんとした歌のレッスンを受けたのはそのときが初めてでした。また宗教音楽のコースでも、主にグレゴリオ聖歌やポリフォニー音楽を歌う実習の授業がありました。こちらでは音楽を理解することが中心で、細かいテクニックの練習はありませんでしたけど。カトリック系の大学でしたけど、それ以外の宗派の音楽もやりました。日本の「典礼聖歌」(高田三郎などの作曲によるカトリックの聖歌)っていうのもやりましたよ。

−−−スコラ・カントールムに参加する以前から、野中裕さんと知り合いだったそうですね。

エリザベート音大の声楽の教授に鈴木仁という人がいらっしゃって、その人が東京で「早稲田大学・日本女子大室内合唱団」の指揮をなさっているんです。野中さんはそこで学生指揮者をしていたこともあり、鈴木先生と知り合いでした。一方、私は大学の方で知り合いになっていました。私は卒業後は千葉へ移ることになっていました。鈴木先生にその話をしたところ、それならば先生が東京で主宰している合唱団があるので、そちらへ来るように誘ってくださったんです。主に室内合唱団の卒業生で作っている「東京バロック合唱団」というグループでした。ちょうどそこに野中さんがいて、こういう経緯で野中さんと知り合いになったというわけです。ちょっとややこしいんですけど。

−−−また別のグループでも彼と一緒だったとか。

「コレギウム・ヴォカーレ」ですね。どういう経緯か知りませんけど、野中さんが先にそちらに入っていました。そしてそちらでバッハの《ヨハネ受難曲》を演奏するので来ないか、と私を誘ってくれたのです。二つ返事でハイと答えたので、私もそちらへゆくことになりました。本当はプロの人たちが多くて、とてもレベルの高いところだったんですけど、どういうわけかオーディションもなく入れてもらえました。第一回の栃木[蔵の街]音楽祭で演奏したんです。あのときのプログラムを見直すと、オーケストラの方にもすごい顔ぶれがそろっているんですね。こんな人たちと共演させてもらったんだなって。

−−−スコラ・カントールムに参加したのはいつですか?

一緒に歌うようになったのはおととしぐらいです。最初のステージは、やはり栃木でバードの《5声のミサ》でしたね。ただし野中さんと知り合いだったこともあって、ステージはよく聞いていましたよ。同仁教会でコンサートをしていたころから聞いていました。お客さんとしては年期が入っている方でしょう。

−−−メンバーになってみて、スコラ・カントールムについてどう思いましたか?

変な言い方ですけど、本当に皆さん歌が大好きなんだなって思いました。当たり前のことかもしれないし、私の方がおかしいのかもしれませんけど、なんだか驚いちゃいました。知識もすごいですし。それに、ずーっと歌を続けている人が多いし。人によってはいくつも合唱団をかけもちして、もう歌いまくっているという人もいますし。正直に言って驚きました。

−−−練習日程や年間スケジュールについてどう思いますか?

今のペースでいいと思います。社会人だと必ずしも毎回練習に出られるとは限りません。ある程度は練習の回数がないと、ますます出席しにくくなってしまいますから。今ぐらいがちょうどいいと思います。

−−−ここ数年、中西さんが参加したころからは、秋に栃木、春にステージというパターンがありました。

春のステージで歌うプログラムの一部を栃木に向けて練習し、そこで一度ご披露するというのがいいパターンだと思います。途中経過っていうのも変ですけど。それだとバランスもいいし、練習も楽ですね。

−−−さて、これまででもっとも感動した音楽経験はなんですか?

大学のころ、サキソフォンをやっていて、ウィンド・アンサンブルに入っていました。その仲間たちと、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの奏者が集まって作った木管アンサンブル「アンサンブル・ウィーン・ベルリン」のコンサートにいきました。ちょうど広島公演があったものですから。私はそのオーボエ奏者ハンスイエルク・シェレンベルガーが前々からファンで、そのコンサートはとても感動しました。シェレンベルガーはベルリン・フィルの首席奏者です。楽器を専門にやっている友人たちは、演奏について深く議論していたみたいですけど、私はあまり細かいことは気にしないで、もううっとりという感じ。ちょっとミーハーなんですけど(笑)。

−−−スコラ・カントールムで歌った曲では?

歌いやすいとか、歌いにくいというのは別にして、私はヘンデルの《主は言われた》がよかったですね。歌っていて楽しかったです。ルネサンスものはよく知らないし、まだよくわからないところがあります。それに対してヘンデルは親しみがあるっていう感じでした。

−−−そうですか。音大関係の話など、おもしろい話をどうもありがとうございました。


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