頴原澄子〔ソプラノ〕


(この記事は、1999年2月に「スコラ・カントールムで歌う私」と題して掲載されたものの再録です。頴原澄子は1995年の入団以来、ソプラノのエースとして活躍してきました。2001年8月より建築学の勉強のためイギリスに留学、2002年秋に帰国、復団しました。)


小学校や中学校でNHKの合唱コンクールに部活で出たりしていましたが、本格的に合唱を始めたといえるのは、高校に入ってからです。高校の合唱部が熱心な部活で、発声の基礎はこの時期に教え込まれました。 現在、この合唱団のOB会にも参加しています。

大学でも合唱団に入っていました。団員が150名余りいる大所帯の合唱団で、現代曲の大曲などをじっくり時間をかけて歌うことができたのは、よい経験だったと思います。また、ヴォイストレーニングを受けたりし、発声についてもここでかなり変わりました。でも、高校3年間の蓄積があったからこそ、発声を変えることもでき、また、難曲を歌うことを楽しむ余裕も持てたのだと思います。大学の合唱団は、とても楽しかったです。よい友人にも恵まれましたし。

ただ、不満だったのは、「バッハ」が歌えなかったこと。この合唱団がバッハを絶対にやらない、という訳ではなかったのですが、たまたま、私がいた頃は、「うちの合唱団はバッハ向きではない」といったような意見が強く、結局、一度もバッハを歌わせてもらえませんでした。4年もいて、一度も!

そんな不満を残しつつ卒団した、折りも折り。「スコラ・カントールム」なる合唱団が今度、定演でバッハのモテットを取り上げるらしい、という噂を聞いたのです。

実は、スコラ・カントールムには、その約2年前、私が大学2年の終わり頃に一度、出会っていました。ちょうど、大学2年の秋、「コンソート・オブ・ミュージック」のエマ・カークビー&エヴリン・タブのデュオリサイタルに行って、素直な発声と、絶妙のハーモニーに目から鱗が落ちる思いをした直後のことでした。また、その頃ちょうど大学の講義で「イギリスの音楽」という、ちょっと変わった授業を受けて、イギリスの作曲家ダンスタブルの音楽について学んでいたのも、何かの縁だったのかもしれません。音楽の分野に「古楽」というどうやら未知の分野があるらしいことを知り、その世界に興味を持ち始めた時に、スコラ・カントールムに出会ったのでした。

ただ、この時は、まだ大学の合唱団が忙しく、また充実して来た時だったので、とても入団する余裕はなく、大学の合唱団を卒団するまで、スコラ・カントールムの存在は忘れておりました。(失礼)それが、卒団後、まさに、絶好のタイミングでスコラ・カントールムに再会できたというべきでしょう(練習場所が家から歩いて10分のところにあったことも大きかったのですが)。

入って、はじめの印象は、よくハモる。けれども、絶対音感的には違う基準音で決まっていてもあまり気にしない合唱団らしい、ということでした。その善し悪しはあると思ったのですが、とりあえず、バッハを歌えること、その魅力が大きくて、結局、入団することになりました。

私は、ずっと、ソプラノという、「勝手パート」をやっていたので、スコラ・カントールムで初めてソプラノをやったのは、はっきり言って、思考回路の180度の転換でした。、それまで自主練をやったことのなかった私が必死で大学の行き帰りに楽譜を広げたりしていたのは、今思えば笑えます。でも、それも良かったのです。真ん中のパートの面白さに目覚めました。初めて迎えた2月の演奏会は、それでも、まだスコラ・カントールムにはまりきってはおりませんでした。ただ、バッハのモテットを一度も音取りをしなおさずに歌い切ったスコラ・カントールムという合唱団には心底、驚いてしまいました。 それを可能として下さったのは、もちろん、諸岡さん・櫻井さん・能登さん、という当代きっての名ソリストですが、三方のような素晴らしいソリストをお呼びできること、それ自体すごいことです。スコラ・カントールムがすごい合唱団だということをこの時、認識しました。

また、この演奏会は、私の合唱人生で今までにない経験を与えてくれました。合唱団が、とても前向きなのです。(指揮者が何と言おうと!)演奏会の出来をくよくよ考えたりするより、むしろ、演奏会を楽しむことが基本にある合唱団だと感じました(私には、それは「当たり前」のことではありませんでした)。この合唱団なら、もっと素直に歌えそうな気がしました。前向きに、恐れずに、音楽をつくることを、まず、楽しんで行けそうな気がしたのです。それからというもの、スコラ・カントールムは私にとって、とても大切な合唱団になっています。途中、就職して、長野に住むことになっても、何とかして、続けたい、と思いました。そう思っていたら(?)なんと、長野新幹線が開通し、移動時間が半分になったのは、あまりに好都合な話でした。

さてスコラ・カントールムに今後望むことを語ってほしい、というホームページ編集者からの注文があるのですが、そんな偉そうなことは申せません。今まで通り、前向きであって欲しい。そして、よくハモる合唱団であって欲しいです。私にとっては、スコラ・カントールムの演奏会に限らず、よくハモった演奏会は印象深いのです。例えば、パレストリーナのミサ・ブレヴィス、ヴィクトリアの第4旋法のミサ、萩原英彦の「動物たちのコラール」、武満徹の「うた」など。「合唱」なのだから、まず、ハーモニーを楽しまねば。

また、スコラ・カントールムでは、これからも様々な時代の曲を取り上げてもらいたいです。その意味では、つい最近やったジョスカン・デ・プレの「ミサ・パンジェ リングァ」は、難しかったけれど、楽しい経験をさせてもらい、勉強にもなりました。その他、第五回定演のメンデルスゾーンは、スコラ・カントールムとしては、珍しい選曲だったのでしょうが、パイプオルガンと素晴らしいソロがあって、とかく、地味になりがちな演奏会が盛り上がったと思います。バッハのカンタータ特別演奏会は、これも一流のオーケストラがついて、かつ声楽のソリストも素晴らしくて、大変刺激的でした。最高のお手本、目標としたくなるような声に出会えることは、歌い手にとって幸せなことです。

第6回定期演奏会のシュッツは練習不足であったにも関わらず、スコラ・カントールムの底力で、よくまとまり、かつ充実した演奏ができました。スコラ・カントールムのお得意の分野であることが分かりました。反対に、パーセルは意外に和音的な面白さが薄く、その分表現不足が目立ってしまったのですが、それもやってみて初めて分かったこと。発音が素人っぽかったのも反省しました。第7回、ヘンデルの「主はこう言われた」は音域が高く広く、メリスマもたくさんで、とても余裕をもっては歌えなかったけれど、それでも、思った以上の出来でした。それから、バードは上手いです。やはり、これもスコラ・カントールムのお得意分野。

とにかく、耳でいくら聴いても曲を殆ど覚えることの無い質なので、実際にいろいろな曲を歌ってみたいです。得意分野は得意分野として、さらにいろいろな曲に出会えることは、大変刺激的です(といっても、選曲は分かる方にお任せ……)。

それから、スコラ・カントールムは最近、アルトがとても上手いです。ハーモニーの良さはアルトの勘の良さに依る所が大きいと個人的には思っております。頭が下がります。また、人数も充実しています。練習の出席率も良いようです。年齢のせいか、ソプラノ陣の中でも、メゾ・アルトへの変更願望がちらほらあります(私も……×××)。ソプラノは上手ければあとは「勝手」なパートでも何とか許されてしまう合唱団が多いと思うのですが、スコラ・カントールムでは、第一に「勝手」が許されていませんので、まずハーモニーの一部である技能を身につけ、さらに、華もなくては務まらない、大変に責任のあるパートになっております。が、それゆえに、益々、恐がってなどいられないのでしょう。とにかく、前向きに精進するしかない…ですね。

次回の演奏会もまた、良いハーモニーと表現のある演奏を目指して、(練習にはなるべく参加させていただき、)自他ともに満足のできる演奏会にしたいものです。

(2001年10月再録にあたり一部改訂)


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