創世記 49章8〜12節について【第3回】
高橋恵美


4 ロバをぶどうの木につなぐ


11節:彼はろばをぶどうの木に/雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。

「ぶどうの木」は、沢山の実を付けた房が実るので、古来豊穣のシンボル。聖書で最初に栽培植物として登場し、申命記8章8節ではイスラエルを祝福する7つの産物の一つに挙げられています。
「良いぶどうの木」と言えば、イエスの「わたしはまことのぶどうの木(ヨハネによる福音書 15章1節)」という言葉がまず連想されます。「ぶどうの木につなぐ」というのは、それに続く「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。(ヨハネによる福音書 15章 6節)」が同じ表現になっています。

ヘブライ語の表記では、「彼のロバ」はユダの長子エル、「彼のロバの子」はユダの二番目の息子オナンを連想させるものだそうです。そう考えると、やはりユダ族の子孫が救い主イエスの出現へと繋がって行くようにも考えられそうですが、単にユダ族の子孫がぶどうに示唆されるように数多く増える、というだけの意味なのかもしれません。

また、この11節の文章からは、イエスがエルサレムへ入城するシーンが思い起こされます。「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、/柔和な方で、ろばに乗り、/荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。(マタイによる福音書 21章 1〜7節)」
マタイが引用したのはゼカリヤ書(旧約聖書に収録されている預言書の一つ)の9章9節。ろばに関する表現がかなり似ていますし、ゼカリヤ書自体も創世記の記述やこれに関する資料、口伝を踏襲して書かれたのかもしれません。
なお、戦いに用いられる「馬」に対し、荷を担ぎ人々の生活に寄り添う「ろば」は平和を象徴するものです。

このエルサレム入城の際のろばの話は、四つの福音書全部に出て来ます。よくQ資料などと呼ばれる、福音書の出典元となるような資料があったのではないかというのが現在の定説なのですが、もしかするとそんなところに載っているのかもしれません。福音書作家は、イエスがユダ族の出身であり、また救世主であることを強調したいという意図があって創世記やゼカリヤ書に関連させて物語ったのかもしれないし、更に想像をたくましくすれば、イエス自身がユダ族の末裔たる救世主として踏むべきプロセス(つまり、ろばに乗ること)を踏んだのが、資料に収録されたのかもしれません。

【次回に続く】

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