西久保孝弘〔バス〕


(この記事は、1999年12月に「スコラ・カントールムで歌う私」と題して掲載されたものの再録です。)


私と合唱との初めての出会いの場は,中学時代に年一回学校行事として行われていた合唱コンクールでした。大地讃頌とか,既に変声を終えていた私はベースにまわされ,ここで初めてハモる愉しみを知ったのです。ただ大声でがなるだけでしたが,何とも楽しかったのを憶えています。

その後,高校に入り,初めは剣道部と合唱部を兼部していたのですが,やがて合唱部一本に絞るようになりました。本格的に合唱音楽に取り組むようになったのは,ここがきっかけだったのですが,初めは発声練習など,白目をむいて「モイモイモイモイ〜」などとやる様に,なんだかアブないと退いてしまったものです。こちらは年に数回の演奏会とコンクールを中心に活動する形で,主に邦人の混声合唱曲を取り上げていました。

大学では,高校のOBがかつて多く在籍していたという縁から,早稲田大学混声合唱団に入団し,バッハやメンデルスゾーン,ブラームスなどのドイツものの外国曲と,邦人の曲を取り混ぜて歌っていました。この合唱団で,外国語の曲の楽しさを知ることができたと思います。また,同時に高校のOB会でも歌ったり指揮をしたりと,合唱三昧の学生生活でありました。

さて,スコラには,早混の友人や先輩も多くいたので,演奏会を聴きに行くなど,入団するずいぶん前から接点はありました。はじめて聴いた演奏は,同仁教会で行われた定期演奏会で,デュリュフレなどを歌っていた時です。外国語の響きがきれいな合唱団だなというのが第一印象でした。その後,特に入団しようと考えたことはなかったのでしたが,大学を卒業するころ,スコラの活動に興味があるという人がいたので,紹介するつもりで一緒に付き添っていったところ,ちょうどその時にベースの人が一人忙しいのでやめるというところで,単なる話の流れで入団することとなりました。ちょうどメンデルスゾーンのモテットやバッハのモテット3番など,馴染みのある曲を取り上げていたこともきっかけの一つだったとは思いますが。

入団してみてまず素晴らしいと思ったことは,常に一定のレベルを維持した活動ができている点でしょうか。合唱団は一にも二にも,とにかく毎回の練習にパートが揃うよう人が集まって歌える,というのが活動の基本になると思うのですが,退団してゆく人のカバーや,メンバーの意識などの問題もあって,多くの合唱団では,なかなかうまく行っていないケースがあるようです。その点,スコラは,パートバランスなど偏ることもありますが,それでも毎回,音楽的に満足できる練習ができるのは,合唱団として大きな強みであると思います。また,普段なかなか共演することのできないような素晴らしいプロの演奏家の方々と演奏できるのも,大きな楽しみです。これは自分の音楽活動にとって大きな糧となっています。

よく話題になるレパートリーについては,ルネサンス・バロックからもう少し広げてもいいのでは,と感じることもあります。現代のアバンギャルドな曲や,邦人曲などは,どうせやるならば他の合唱団で・・とは思うのですが,例えば私が入団した年度で取り上げたメンデルスゾーンあたりは,また別の曲を取り上げても良いのでは,と思います。また, 週一回の練習というペースはよいのではと思っています。歌の合宿もあれば楽しいかな,と思うこともありますが,やはり疲れちゃいますか。

さて,私の歌体験ですが,歌い手として一番印象に残っているのは,WYCというところでウルグアイ・アルゼンチンに遠征して行った演奏会です。各国から若い人をあつめて,夏の3週間くらい演奏旅行をするという企画だったのですが,観客の反応がロックコンサートのそれなのですよね。会場総立ち,沸き上がる歓声,群がる女の子。キャーキャー(他にあまり娯楽が無いのかも?)。カルチャー・ショックでありました。
スコラでは1996年の夏の,バッハカンタータ特別演奏会が最も印象に残っています。バッハの音楽の律動,楽器・ソリスト陣の充実,会場のレトロな雰囲気,満杯の観客席・・といろいろな要素がからみ合って,とてもエキサイティングな演奏会でした。

さて長々と書かせていただきましたが,スコラで得た一番大きなものは,歌を愛し,酒(の場?)を愛し,愚にもつかない馬鹿話を愛する仲間であると,これはホントに思っております。これからもよろしくお願いいたします。


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